これは2008年12月18日〜21日にかけてリアルタイム更新していたときの文字ログです。
実際はswfで、日時によって文章と背景が切り替わる仕様でした。
通常公開をするにはフラッシュ内で大幅な組み替えが必要なため、文字ログのみのアップでご容赦ください。
涼宮ハルヒを古泉一樹に任せ、わたしは一人病室に残った。朝比奈みくるは泣きじゃくり続けたせいで疲弊が激しかったため、一足先に帰らせた。
彼らは不安に思っている。わたしは原因を知っているが、それを口外することは不可能。
彼が無事答えを見つけ、脱出できることを祈る。祈るという行為自体に意味はない。おそらくは自身の精神安定のため。それでもわたしは、祈ることを止めない。止められないのだ。
すべてはわたしの責任。
(12/18 夜 長門)
彼の眠る姿を見るのは、おそらく孤島で酔いつぶれた彼を介抱して以来のはずだ。こんな風に突然取り返しのつかない事故が起こることを、僕はどこかで覚悟していたはずなのに、どうしてだろう、笑ってしまうくらい恐ろしくてたまらない。
すっかり憔悴しきっている涼宮さんを家に帰し、現在僕は再び病院に戻ってきている。彼が階段から転落して、すぐさま搬送した病院は我ら『機関』の関係施設だ。特殊な事情で起こっている事態ならば、それ専門の知識を持つ者もいる。すぐさま露見するはずなのに、彼のどこにも異常はないという。異常もないまま、目を覚まさず眠り続けている。もう五時間以上もだ。ただ打ち所が悪かっただけなのかもしれない。しかし僕にはこれが、誰かの意志であるようにしか思えない。具体的に言えば、僕らのいうところの「神」の仕業と。
いや、そんな馬鹿な。先ほど見送った涼宮さんの様子を思い出し、あり得ないとすぐに思い直す。彼女が、彼に対して望むのは、こんなことではあり得ない。絶対に。
長門さんの様子が気に懸かった。彼女はおそらく何か知っている。そしてそれを口にすることも絶対にない。
何かが起こっている。何かは分からないが。
(12/18-19 夜中 古泉)
夜の病室は静かだ。光のない部屋はまるで閉鎖空間のようだと、僕は思った。きっと色のないせいだ。病室は真っ白で、彼の顔も真っ白で、僕は無性に、何か赤いものが欲しくなった。
明日花でも買ってこようか。それとも、リンゴがいいか。嗅ぎなれた甘酸っぱい匂いに、彼の意識が呼び覚まされるかもしれない。
足元に転がっている寝袋を避けて、僕は彼に近づいた。いまだ目覚める気配はない。呼吸も、脈も、正常なのだ。ただ起きないというだけ。しかしそれこそが一番おかしなことである。
口元に手のひらを近づけると、かすかに息がかかる。小さな寝息は規則正しく繰り返される。顔色もいい。
今すぐにでも起きだしてきそうなほどだ。誰が見たって今の彼に、ただ眠りこけている以外の感想など持ち得ないだろう。
不意にある童話を思い出す。百年の眠りを与えられた王女と、その王女を目覚めさせる方法。スリーピングビューティー。そういえば彼は以前に、同じことを考え実行したのだった。彼女と二人、閉鎖空間に閉じ込められたあのときに。そして彼は、閉じた世界の扉をこじ開けた。もし、僕にもそれが可能ならば。
眠る彼にそっと顔を近づける。吐息がかかるほどまでに。いつもならば呆れた様子で聞こえてくるだろう、「顔が近い」という台詞も、今の彼の口から発せられることはない。うっすらと開いた彼の口元に、僕は一度指を触れ、それから、
「うう……バカキョン、早く、起きろって、言ってんじゃ……ない……」
足下から聞こえてきた声に、一瞬僕の頭は真っ白になり、そしてようやく我に返った。反射的に起こした体は、全身が心臓になったみたいに動悸が激しく鳴り響いている。何をやっているんだ、僕は。あり得ないだろう、まさかお伽噺を真に受けて、行動に移してしまうなんて。キスで目覚めるなんてそんな馬鹿な話、あるわけがないのに。
恥ずかし紛れに、寝袋にくるまった涼宮さんを見遣る。体を小さく縮ませ、深い眠りの位置にいるのはすぐに分かる。見咎められたわけではもちろんなく、先ほど聞こえたのは正真正銘、ただの寝言だ。
嘆息して、僕はサイドテーブル横の丸椅子に腰掛けた。
やはり僕は少し、疲れているらしい。
(12/20 真夜中 古泉)
涼宮ハルヒの鍵である、かの少年の身にどうやら異変が起こっているらしい。古泉の報告に『機関』内部は今、戦々恐々としていた。それが涼宮ハルヒの仕業ではないらしいというのが、一番の懸念。
つまり彼の身に起こっている事態は彼女のなかでも想定外の出来事で、必然的に彼女の内面が不安定になることは避けられない。結果起こりうるのが閉鎖空間の発生であろうことは、安易に予測できる。まだその懸念が現実にはなっていないが、おそらく時間の問題だ。
幸いここは『機関』管轄の院内である、彼の現状についての情報入手は抜かりない。
僕らが学校に行っている間、彼に何かあると困るので、そう言って古泉はわたしに昼間の看病を依頼してきた。看病といっても、傍目にはただ寝ているようにしか見えない。何もしようがないのだ。しかし古泉の言い方に含みのあったことが気に懸かる。どうやら他者の思惑が介入している模様。
ベッド脇の丸椅子に腰掛け、彼の様子を遠目に伺う。寝ているだけの人間をただ見つめているのも退屈だ。ふと窓の外に目をやると、六甲の山々の緑と、晴れ渡った空のコントラストが美しい。山鳥の群れがV字を描いてその間を渡る。
病院という施設とはあまりにかけ離れた長閑な窓の風景と、ただ眠り続ける彼の姿が相まって、とんでもなくちぐはぐな印象だけが残るのだ。湧きあがる違和感。確かに今、何か妙なことが起こっている予感がする。
少し気分が悪い。効きすぎなくらいの暖房の熱で酔ってしまったのかもしれない。空気を入れ替えようと、病室の窓を開ける。途端冷たい風が肌に当たり、ぼうっとしていた頭が切り替わった。窓の外を覗くと、色の褪せた芝生と、申し訳程度に植えられた木々。病院の中庭である。さして広くもない庭を、わたしは目だけでぐるりと見渡した。そこで、彼女と目が合った。青黒い髪をした少女。
遠目からでも分かるほどに、少女の目線は真っ直ぐわたしを射抜いた。背筋から湧きあがる戦慄が、思わぬことに足を震わせる。
彼女は消えてしまったはずの地球外生命体に、とてもよく似ていた。
(12/20 昼 森さん)
学校が終わるとすぐに病院に向かうのが、ここ二日ばかりの日課となっている。今日はわたしが一番のり。
病室の扉を開けると、古泉一樹の関係者である女性が立っていた。名前はたしか、森園生。彼女はわたしをみとめると、古泉一樹のような表情を作り、しかし間もなくそれは怪訝なものへと変わった。
「長門さん、以前あなたのバックアップとして存在していた端末のことについて伺いたいのですが」
「朝倉涼子のこと」
「ええ、そうです。彼女はもう、こちらには存在していないはずですよね」
「していない」
「そう……じゃあ、やっぱりわたしの見間違いね。あまりに似ていたから、驚いてしまって」
「……どこに?」
森園生は、窓辺に顔を向けた。わたしもつられてそちらを見る。病院の中庭には、入院患者やその家族、休憩中と思われる院内関係者がちらほらと見られる程度。寒さの厳しい時期だから、誰も長居はしないだろう。閑散とした景色のなかで、あの恐ろしく目立つ、美しく長い髪はどこにも見当たらない。
「ほんの一瞬だったもの。きっと患者の家族か何かだったのね」
「そう」
長門さんが来たならわたしは帰るわね、そう言って森園生は立ち去った。その様子を見送りながら、わたしは考える。朝倉涼子はわたしのバックアップの存在。もし仮に彼女が復活したとしたら、すぐにわたしに伝達されるはず。分からないはずがない。
それでも嫌な予感がした。未来のわたしに同期を試す。不可能。以前から気づいていたが、十二月二十一日夕方を境に、それ以降の自身との同期ができなくなっている。それはわたしが選び取った選択。すでに決めている。おそらく、明日にすべてが解決するか、もしくは消去されるのはわたし。
期限は今日。彼は鍵を見つけられたのだろうか。
(12/20 夕方 長門)
食べる気が起きないという朝比奈みくるを伴って、涼宮ハルヒと古泉一樹は食事へと出かけた。
先ほどの森園生の言葉が気に懸かり、わたしは院内へと留まることにした。古泉一樹が何か訊きたげな目を向けてきたが、わたしは結局、彼女が朝倉涼子によく似た少女を目撃したことを、言わずにいた。余計な心配を掛けさせるし、もし万が一彼女が再び現れたとしても、古泉一樹や朝比奈みくるに対処できることは何もない。
病室の時間は静かに過ぎる。明日の夕方まで、このまま何も起るはずはない。
「おひさしぶりね、長門さん」
突然、そんな声が聞こえた。驚いて顔をあげる。何の気配もない。背後を振り向くと、病室の入り口に彼女が立っていた。
「驚いちゃった? ふふ、長門さんのそんな顔初めて見た。随分表情筋が発達したみたいね。もうすぐわたしみたいに笑えるようになるのかしら」
朝倉涼子はたおやかな微笑みを浮かべたまま、片手を持ち上げた。その先には、鈍く銀色に光るもの。あれには見覚えがある。あのとき、彼に突き刺そうとしたもの。
「私、失敗しちゃってさ。もう少しで彼をやれるところだったのに、また邪魔されたの。せっかくあなたを解放できたのに。あなたのこと傷つけるあいつがいなくなれば、あっちの世界のあなたはきっと、私の隣で私を必要としながら、ずっと一緒にいてくれたのに」
目の前の彼女は、以前私の消した彼女とはどこか違っていた。彼女の言い分が理解できない。どうやら彼女はあちら側からここに来たらしい。いったいどうやって。私の顔を見て、朝倉涼子はふふ、と笑い声を零した。
「不思議そうな顔ね。私がどうやってここに来たのか考えてる? それは私にも分からないんだけどね。また消されるのが嫌だったからさ、私必死に再構成をしたの。そうしたら消えずにいれた。きっともう一度チャンスをもらえたんだわ、彼を消すための」
おかしい、そう思った。そうやって饒舌に話す彼女は、以前持っていたはずの彼女の構成要素を一つも含んでいない。まるで空っぽだ。有機物ですらない。
彼女はほんとうに、今わたしの目の前に存在しているのだろうか。
そんなはずはない。彼女はもう、存在していないのだ。これはおそらく。
「あなたは虚構。ただの入れ物。データコピーすらできていない、不完全な模造品」
朝倉涼子の顔色がさっと変わった。その目は怒りに打ち震えている。瞬間、狂ったように、彼女は声をあげた。
「どうして! 私あなたのために生まれたのよ。あなたが望んだから、もう一度作られたんじゃない! それをまた切り捨てて、私の存在を否定するっていうの?」
「わたしは望んでなどいない」
わたしの言葉に、彼女は鼻を鳴らして笑みを浮かべた。わたしの知っている彼女は、こんな風に笑うことがあっただろうか。
「ばかね、そんなわけないじゃない。全部あなたが作ったのよ。あなたが、キョンくんを選び取って、涼宮ハルヒと朝比奈みくると古泉一樹を排除したのよ。もう一度彼らが巡り会わないように、私という防御壁まで作って。あれは全部あなたの願望でしょう」
彼女は最後ににっこり笑って、ナイフを逆手に持ち直した。指先に力を込める。そして、一気に振り下ろす気配を見せた、はずだった。
「……どうして……」
彼女は動かなかった。全身硬直したように、まったく微動だにしない。ナイフの切っ先が震えている。その下には、まるで泣きそうな顔。
「……あなたは最後まで、私に自由をくれないのね。私のことを望んで配置したくせに」
彼女の目に浮かぶものがある。わたしたち有機生命体には必要のないはずのもの。こぼれ落ちたそれは、やはり朝倉涼子が不完全な物体であることを示していた。涙と呼ばれる水素化合物は落ちる途中で蒸発し、それとともに朝倉涼子は消えた。
(12/20 夜 長門)
「長門さん」
古泉一樹がやけに心配そうな声色で、わたしの名前を呼ぶ。もちろん彼は気づいていない。先ほど起こった一部始終を。それともあれはわたしの見た幻覚だろうか。
朝倉涼子は言った。あれはわたし自身の望んだことだと。わたしは今まで、明確な願望など持ったことはない。現在の事態は、わたしに蓄積したバグによって引き起こされている。ただのバグ。そこに感情など存在しないはず。
「——明日の夕方」
「はい?」
「彼はおそらく目を覚ます」
古泉一樹は瞬間、虚をつかれたように目を見開き、束の間黙り込んだ。そしておそらく、安堵のために口元を緩めた。
「……そうですか、それは、よかった」
声が少し震えていた。わたしはさっき彼女の流した涙を思い出し、なぜか呼吸器官に息苦しさを覚えた。
「ごめんなさい」
苦しい息の代わりに、するりと、それは吐き出された。その言葉を、彼に伝えなくてはいけないのだと思った。
そのときの古泉一樹の表情は、夕方目にした森園生の笑みとはまったく、似ても似つかなかった。
(12/20-21 夜中 長門)