毎年誕生日が近づくと、大きな荷物が届く。中身はいつでも、大きすぎる花束と、馬鹿高いワイン、それから無記名の小切手。差出人は毎年違う名前で、伝票に他人事のように書かれた地名は毎年同じ、イタリアの南方の地方都市のものだった。
「またかよ」
苦虫を噛み潰したような気分で、オレは小切手を丸めてゴミ箱に投げ捨てる。花とワインには罪はないので、花は台所のシンクにいっぱい水を溜めてそこに放り込んだ。ワインはあの飲んだくれ医師にでもくれてやろうと、ストックケースに突っ込む。
誕生日は憂鬱だった。この味気のないプレゼントは、イタリアにいた頃からずっと途切れることなく続いていて、いつでも、中身は同じだった。花。ワイン。そして厭らしい金の匂い。届く度に、すぐに捨てた。それでも貧しかった頃、オレは一度だけ、小切手に名前を書いて金を手に入れたことがあり、それは後悔の火種となって、今でもオレの胸にくすぶっている。
花に刺さったメッセージカードは、いつも同じ文面で、ただ、年号だけが毎年1ずつ増えてゆく。
”Buon Compleanno a hayato 2006 9 9"
大嫌いな人間からの大嫌いなメッセージは、びりびりに破いて煙草の灰と一緒に燃やした。
プレゼントなど、要らない。こんな、金さえあれば手に入るものなど。
校門を出た途端、夏の終わりの街の匂いがする。夏休みの名残惜しさと、これから来る季節の寂しさの入り混じった匂い。ツクツクホーシの声はいよいよ小さくなって、本格的な秋の到来を感じさせた。
「日が落ちるのが早くなったね。もう九月だもんね」
「そうですね」
「この時間の街の匂い、なんか好き。埃っぽくて、ちょっと涼しくて、どこかの家の夕飯の匂いがするんだ」
全く感性の違うこの人の言葉を、とてつもなく愛おしく感じることがある。それは例えば同じ空を見たときだったり、二人でいる時間だったりする。一緒に過ごしているときでも、少しだけ違うものが見えていることを、不思議に思う。
どんなにゆっくりと歩いても、家は近づくし、お別れの時間はやってくる。また明日会えるのに、いつもこの瞬間、胸がきゅうっとする。それでもオレはいつも通り、さようなら、また明日、と口を動かそうとした瞬間、10代目の言葉がそれを遮った。
「ねえ、獄寺君、今日の夜は暇?」
「え?はい、予定なしですが、」
「それなら、今日、夜の10時に、並中の前で待ち合わせ。見せたいものがあるんだ」
オレは突然のことにしどろもどろになりながらも、なんとか10代目の約束に頷いた。オレが見せたいものって何ですか?と聞いても、10代目は笑って、秘密だよ、と言うだけだった。
今度こそさよならを言って、橋の上で手を振る。川の水面に夕日が写って、ピンク色に染まっていた。オレはとても幸せな気分になって、ずうっと手を振り続けた。10代目の背中が見えなくなるまで。
だって今日は、さよならの後、また会えるのだ!
10時になる10分前、夜の学校を背に、10代目を待つ。校門の前も、グラウンドも、いつもと違ってひっそりとしていて、まるで学校とは別の空間のようだ。いつも人のいる場所に人がいないと、まるでこの世の終わりで一人生き残ってしまったようで、居心地が悪い。
10時を少し過ぎて、10代目は現れた。走ってきたようで、少し息が切れている。9月に入ってからの夜は妙に冷え冷えとしていて、それが余計にこの人の頬を赤く染め上げた。
「ごめんね、ちょっと遅れちゃった。まだ間に合うよね」
10代目は空を見上げてそう呟く。どうやら見せたいものというのは、限られた時間にしか見えないものらしい。オレはますます不思議に思った。
「グラウンドで見よう。寝転がったら、きっと良く見えるよ」
そう言って10代目は、体を校門の柵の隙間に滑り込ませて、いとも簡単に中へ入った。オレの図体ではその方法は無理があったので、大人しく柵を登って侵入する。
夜のグラウンドは恐ろしく広く見えた。ここでいつも体育の授業を受けていたり、あの野球馬鹿が部活をやっているなんて、信じられないくらいの静けさに包まれている。
グラウンドのど真ん中で、オレ達は思い切り寝転がった。地面の砂の擦れる音が耳鳴りのように響くのは、周りに音がないからだ。本当に静かで、まるで神聖な場所にいるような気分になる。
「もうすぐだよ、」
そう言って10代目は、ずっと真正面(つまり空の方)を見ている。オレも真似して空を見るのだけれど、見えるのは、眩しいくらい明るい月と、満天の星空だけ。一体何があるというのだろう?ずっと見つめていると、だんだんと、空との距離感が分からなくなってくる。星にもう少しで手が届きそうなくらい近く感じても、手を伸ばせば空を掴むだけだ。
「始まった!」
不意に隣から小さい叫び声が聞こえた。10代目は、空に向かってぴんと腕を伸ばし、指差す仕草をして、「月を見て」と言った。
だんだんと、月が変化してゆく。緩やかなスピードで、空の色が、周りの星の光が、月の色が変わってゆく。
「月食だ」
そう呟きながらも、オレは月から目が離せなかった。
「不思議な色だね。おれ、月食って月が見えなくなるもんだと思ってた」
10代目も月に釘付けになったまま、言う。
「そういう時もあります。今日はついてる。あんまり見れないんです」
月は、とうとう全てが影に飲み込まれて、鮮やかなオレンジ色に変わった。これから、少しだけ色が落ちるだろう。そして最後にはまた鮮やかな色になり、月食は終わる。全て、教科書で見ただけの知識だ。写真など、目の前で起こっていることに比べると、なんて貧相でつまらないものだろう、そう思わせるくらい、今宵の月は美しかった。
「オレ、初めて見ました。月食が起こるところなんて」
想像していたよりも明るく、月はレンガ色に染まっている。これから1時間くらいは、この色のまま続くだろう。
「おれも。なんだか、全然違う。教科書なんかで見たやつと」
「10代目、どうしてこれをオレに見せたかったんですか?」
オレがそう聞くと、暗闇の中、彼は拗ねたように口を尖らせた。
「12時まで言わないつもりだったのに。明日は、獄寺君の誕生日だろ。おれ、何にも用意できなくって……だからせめて、今日しか見えないものを見せたいって思ったんだ。それに、12時きっかりに、君におめでとうを言えるしね」
ああ、この人はどうして、オレの欲しいものが分かってしまうのだろう。
十四回目の誕生日で、初めてオレは心から嬉しいと思えるプレゼントをもらった。
オレは小さな声で、ありがとうございます、と呟いた。それから、数センチ先にいる10代目の手をぎゅっと握りしめた。急に手を握られて、彼は一瞬驚いたように震えたけれど、すぐに安心したようにオレの手を握り返してくる。
こんな広い場所にたった二人きり、手を繋いで空を見ている。もしかして、この世に今、オレ達二人だけしか存在しないのでは、と勘違いしてしまいそうな位ここは、二人だけの場所だ。そうして二人、吸い寄せられるように、月だけを見つめていた。
月は、だんだんと明るく、オレンジの光を取り戻し始めている。もうすぐ月食が終わってしまう。
「10代目、ありがとうございました。初めて、誕生日を嬉しいって思いました」
オレの言葉に、10代目は何かを察したようで、繋いだ手の力を少しだけ強めた。
「9日になったね。獄寺君、お誕生日おめでとう!」
「ありがとうございます」
「今ね、神様にお礼を言ったんだ。獄寺君をおれに出会わせてくれてありがとうって。後、君のお母さんにも。君を生んでくれてありがとうってね」
10代目が、体を起こす。背中は砂だらけで、髪と頬にも沢山くっついたままだ。オレは笑って、砂を払おうと彼の顔に手を伸ばそうとすると、それよりも先に、彼の手がオレの頬を拭った。
オレは気付かない内に、涙を流していたのだ。
「泣かないでよ、」
10代目は困ったようにオレを見る。オレは焦って、袖口で思い切り目を擦った。
「違います!これは心の汗です!」
オレの言葉に、10代目はやっと笑顔を見せた。
「キンパチ先生じゃないんだから」
そう言って、オレの頭を柔らかい手で撫でる。オレはやっと、10代目の砂だらけの髪に手を伸ばすことが出来た。
神様、いるんだかいないんだか分からない神様。オレと10代目を出会わせてくれてありがとうございます。
家に帰ってソファに転がり込むと、オレは自分の背中のことをすっかり忘れていたのに気付いた。ざらりとした感触が、背中じゅうに広がる。
「げ、砂まみれ……」
ソファに落ちた砂を取ろうと、布巾を取りにキッチンに向かう。
昨日水に浸けた花は、まだ生き生きと咲いていた。
来年もしまたこれが届いたら、メッセージカードくらいは残しておいてやろう。
オレは意外にもそんなことを考えた。