目を覚ますと、オレはなんとなく見覚えのある街にいた。
大爆発が起こったことは覚えている。その爆発の原因があのアホ牛だということも、それが10年バズーカというふざけた武器の仕業だということも分かっている。
ただ、自分自身があのバズーカによって10年後に飛ばされたのは初めてだった。22歳になって、ずいぶんと胆が据わったと評価されている現在のオレでも、さすがにこの不慮の事態には不安と焦りを覚える。
(っつーことは、ここは10年後の……どこだ?)
狭い道路、薄汚れたコンクリートの壁、背の低い家が建ち並ぶ、どう見ても日本の住宅地だ。オレはこの場所を知っている。確かに、記憶の断片にひっかかるものがある。この道を、何年も前に、毎日のように通っていたような──。
ふと近くにあった電柱の住所表記を見る。そこには見覚えのある字面が並んでいた。
「並盛町……」
オレが、10年後、並盛町に?
辺りを見回し、今自分の立つこの場所が、まさに毎日通っていた10代目の家への道程だと思い至る。一瞬、懐かしさが胸に込み上げたが、また一瞬で飲み込んだ。
「しかしなんでまた、並盛に」
出来る限り冷静を装って、わざと大きめの声を上げる。混乱している頭を、無理にでも落ち着かせるためだ。とりあえずと、10代目の家の方角へと足を進めながら、オレは必死に考えた。きっと10代目の里帰りに護衛についているのだとか、もしや並盛でボンゴレに関する事件が起きたのかもしれないとか、出来るだけ平和的に、当たり障りのなさそうな理由を思い浮かべた。
一番考えたくない事態──10代目が引退して、並盛に戻っている、という事態だ──だけは、絶対に、現実であって欲しくない。ただ知りたくないのならば、ひたすら何も考えず、何も見ずに5分間をじっと過ごせばいいだけの話。それでもオレの足は正直で、半ば急ぐように早足で目的地へと向かっていった。
10代目の家は、10数年前と変わらず、その場所に存在していた。心なしか、少々綺麗になったようにすら見える。オレは門の前に立ち、チャイムを鳴らすか鳴らすまいか逡巡した。それもずいぶんと長い時間に感じたが、時計を見ればまだほんの2、3分しか経っていない。
そうこうしているうちに、勢い良くドアの開く音がしたので、オレは驚いて顔を上げた。玄関から、10代目のお父様とお母様、そして2、3歳位の子どもが現れる。お母様はずいぶんと髪が伸び、10年も経つというのに若々しいまま、寧ろ若返ったようにも見える。お父様もほとんど変わっておらず、あの頃のままだ。
「あら、お客様?どなたかしら?」
オレに気付いたお母様が、きょとんとした大きな瞳を動かしながら、こちらを見て首を傾げた。懐かしい、しばらくぶりに聞く彼女の声に、涙腺を刺激される。思わず、門から身を乗り出して、叫ぶように声を上げていた。
「お父様、お母様!覚えていらっしゃいますか?獄寺です!ご健在で何より……」
「ごくでら…さん?ねえ、お父さんのお知り合い?」
「いやあ、俺は知らんが……」
(……もう忘れられてる……)
まだイタリアに渡って数年しか経っていないというのに。さすがに少し泣きたくなる、先ほどとは別の意味で。目に見えて沈んでしまったオレに、お母様は優しく、ごめんなさいね、私、物忘れがひどくって……と、慰めの言葉をかけてくださる。
「こーちわっ」
ふと足下を見ると、小さな手がオレのパンツの裾を掴んでいた。満面の笑みを浮かべながら、こちらを興味津々で見つめてくる。表情も、雰囲気も、10代目とどことなく似ている。オレは驚いて、その子と二人を交互に見比べて言った。
「あの、もしかしてこの子、10代目の弟さんですか」
「え、この子は一人っ子よ?」
少し困惑気味の表情で、お母様が言う。1人目、と言うことは、つまり──。
「あの、失礼ですが、この子のお名前は」
「綱吉だ。ところで君、ちょっとこっちへ来なさい」
その瞬間、オレは事態を飲み込めた。オレは10年後ではなく、過去へ向かってしまったのだ。思わず顔を上げると、お父様の恐ろしく強ばった目がオレを睨みつけてきた。まさかとは思うが、誘拐犯か何かと間違われているのだろうか。さすがボンゴレ門外顧問といった貫禄に気圧されたオレは、全く動けないまま、半ば引き摺られるように家の裏へと連れていかれ、がっしりと肩を掴まれて開口一番こう聞かれた。
「君の父親はマフィアだろう」
10年前、どころではない。きっと10代目の年齢から考えても、20年は前であろうこの時代では、オレはまだボンゴレと関係すら持っていないはずだ。数少ない条件からオレの正体に辿り着いたボンゴレ門外顧問には、さすがと言う他ない。そしてやっと自分を知る人間に出会えたことに、心底ほっとする。
「その通りです」
「やっぱりか。君が綱吉のことを10代目と呼ぶもんだから、ピンと来た。3年ほど前、北のあるファミリーにいた女の名字が獄寺だったと思い出してな。君は見たところ、20歳前後か?」
「はい、22歳っす」
「未来から来たのか……さてはボビーノが研究している『時間移動砲』とかいう機械、20年後には実現しているんだな」
「まあ、なんつーか、10年前には既に。で、今は一体何年何月何日なんでしょう?」
しかも誤爆された上に、本当は時間を遡る機能なんてないはずです、と説明しても仕方がないので伏せておくことにする。しかし20年も前からあんなはた迷惑なものを作っていたのか、ボビーノは。
「1994年の4月20日だ。君は何年から来たんだ?……綱吉は元気にしているか?10代目と呼ばれているってことは、やはり、」
やはり、ちょうど20年前だ。オレのいた2014年も、4月20日──ちょうど復活祭の日だった。
「オレは、2014年にいたはずです。10代目は今、」
言いかけたオレの目の前いっぱいに、ごつごつとした大きな手のひらが広がる。見るとお父様がストップ、と言いたげな表情で微笑んでいた。
「……いや、やっぱりいい。未来を知るのは、きっと良くないことだからな。ひとつ注意しておこう。時間移動をする時は、出来るだけその時代に干渉しないこと。君の発する何気ない一言で、未来ががらりと変わってしまうかも知れんからな。今度から、名乗ったり、知っている人間に話しかけたりはするなよ。たとえ、綱吉に会ったとしても──」
自分は聞こうとしたのに現金だとは思わんでくれよ、そう言ってお父様は威勢のいい声で笑った。
「でも、もし……君が綱吉の前に戻ったら、元気に育ってくれてありがとうと、そう伝え……」
声がだんだんと遠くなってゆく。目の前が霞がかる。なにもかもが真っ白い光に包まれて、何も見えなくなる。
これが帰る合図?本当に、これで2014年に帰ることができるのか──。
どうも、5分どころじゃなかったのが気になるけれど。
「獄寺、5分経ったのに帰ってこねーぞ」
いつも能天気な山本も、さすがに険しい表情を浮かべている。
ボスの執務室に、顔をつき合わせているのは、総勢4人──しかし、先ほどまでは5人だった。つい数分前、その中の1人が、ここからこつ然と姿を消してしまったのだ。ただし、原因は分かっている。
「このアホ牛、お前は15にもなってまだそんなもんに頼ってて恥ずかしくねえのか」
リボーンが一見つぶらな瞳、に見える怒りの目をランボに向けると、彼はひいっと弱々しい悲鳴を上げながら、頭を抱えて座り込んだ。図体は明らかにランボの方が大きいので、はたから見ると、大人が子どもに怒られているという、なかなか情けない状況である。
「まあまあチビ、そんな怒んなって。ランボも悪気があった訳じゃないんだろ?」
リボーンを宥めようと二人に割って入った山本の背中に、途端ランボが飛びつく。恐怖で我を忘れているランボは、両腕をがっしりと山本の脇腹に回し込み、泣きじゃくって彼のシャツを涙と鼻水で汚した。
「おいおい、つめてえよ。お前も男ならもう少ししゃきっとしなきゃだめだぞ」
ハハハ、と笑いながら、山本はランボの頭をくしゃりと撫でる。
「でも、獄寺ほんとに大丈夫かね」
「ああ、ただ誤爆して10年後に飛んでるとしたら、ここに10年後のあいつがいないのはおかしいな……どーなってやがんだ」
「大丈夫だよ」
柔らかく強い口調が、部屋中に響いた。今まで騒ぎを黙って見ていたボスが、ようやく口を開いたと、そこにいた3人全員が彼の方を振り向く。
ボンゴレ10代目──沢田綱吉は、至極のんびりとした口調で、何も心配いらない、といった表情で、あと30分もすれば戻ってくるよ、と言った。
「だっておれ、今日の獄寺君に、昔会ったことがあるんだ」
「また並盛かよ!一体どーなってやがんだ!」
小さな爆発と共に、足下は溶けてなくなったように不安定になる。それからまた地に足を着けるまで、おそらくほんの数秒間の出来事のはずなのに、もう何年も時間を彷徨っていたように思えた。着地してから恐る恐る、少しの期待を込めて目を開けてみれば、そこは元いた10代目の執務室ではもちろんなく、剰え数分前に立っていた、10代目の家の前の道へと戻っていた。
肩を落とし、ため息を地面に向かって吐き出す。
「で、今は何年なのかなーっと」
出したくもない涙声が、喉の奥から絞り出される。おちゃらけないとやっていられない。あんまりのことに、気が狂いそうだ。今までもおかしなことやら、馬鹿馬鹿しい事態は腐るほどあったけれど、さすがにここまで対処のしようのないことは初めてで、既に不安と緊張は限界を超えている。
ずっと昔、改造されたバズーカで子どもにされた時は、戻るか分からない不安があったとはいえ、1人ではなかった。周りには10代目もリボーンさんもいたし、何より幾ら小さくなろうが、あそこは自分のいるべき場所だったのだ。
それがこの訳の分からない状況はどうだ。一体今がいつで、どうしてここにいるのか分からず、その上さっきお父様から言われた言葉──時代に干渉するなということは、つまりオレは、今、ここにいてはならない存在だということだ。
何もするな、誰とも会話するな、自分をいないものと思え、つまりはそういうことなのだ。この状況を抜け出すことができるまで、オレはこの世から一切、存在を消さなくてはいけない──。
オレはただただ呆然と、道のど真ん中で立ち尽くす。もう頭は回転をすっかりと止めて、目に入る情報を処理するだけで精一杯だ。そうして、ふと違和感を感じた。数分前まで見ていた風景と、少しだけ違うような気がする。
「なんか、道が綺麗になってる…?」
さっきまで見ていた道は、コンクリートとはいえ、無理矢理舗装したようにでこぼこしていたが、今オレの立つこの場所は、表面が真っ平らで黒光りしていて、比較的最近整備されたと思われる状態だった。
「つうことは、さっきよりは何年かは後か?どこか比較的変化の分かる場所ってねーのか……」
あ、と思ってもみないほど大きく響いた声に驚きつつ、思いついた場所にオレは駆け足で向かった。
「オレがいた時の並盛中は、新校舎と旧校舎が両方建ってたから──大体見れば年代が分かるかもしんねえ。確か新校舎が建ったのは2000年ちょうどで、旧校舎が取り壊されたのが2008年だったな」
この数分で、すっかり独り言が板についてしまったのが我ながら心配だ。しかしそんなことには構っていられない。声に出さなければ、余計なことまで考えてしまう。よくホラー映画で観る、独り言を言っている主役が可笑しくて馬鹿にしていたが、恐怖を打ち消すには、言葉を口に出すのが一番だと今ならよく分かる。
走ってすっかり息が上がった頃、目前に現れた並盛中の門をくぐると、なつかしさが胸に込み上げてくる。新校舎はまだ工事中で、全体が白いビニールで覆われていたが、ほとんど出来上がり間近といったところだ。
「よっしゃ、やっぱ並中に来て正解だったぜ。校舎がこの状態なら、よくて2000年、違っても1、2年ってとこだろ。やっぱり少しずつ戻ってるみてーだな」
時計を見ると、最初に20年前に飛んでから今まで30分弱。1994年に滞在していた時間は10分程度だった。そして今、ここに来て既に15分が経とうとしている。滞在時間が長くなっているのだ。小さな不安を覚える。
「で、でも、だんだんと時間を戻っていってんなら、そのうち2014年に戻れんじゃねーか?」
そう、自問自答する。どうにかして、良い方向へ考えを持っていきたかった。そうしなければ、身も心も持たない。オレはコンクリートの門にもたれて、胸ポケットから煙草を取り出した。この騒ぎですっかり煙草のことを忘れていたのが、少し落ち着いてきたのか、急にあの味が恋しくなったのだ。ライターを取り出したところで、見回りをしていたらしき、1人の教師と目が合った。オレの姿を一通り見回して、目の色を変えたかと思ったら、険しい表情を浮かべてこちらに向かってくる。
「おい、そこの君、何をしている」
(やっべえ、オレよく考えたらすっげえ怪しいじゃねーか!)
自分がイタリアンマフィアだということを思い出し、改めて自分の姿を鑑みると、どう見ても不審人物だ。普段から他ファミリーに舐められないようにと、一張羅のスーツで全身を包み、高価なアクセサリーを装備して(特に指輪は重要で、これは拳につける武器のようなものだ)、髪はきっちりと結ってある。おかげでイタリアでは、いっぱしのマフィアの幹部として見られるようにはなったが、些か日本の並盛町では、この姿は浮きすぎていた。
オレは煙草を放り出して一目散に逃げた。さすがに一般人である中学教師をしめるのは、マフィアとして忍びない。しかもここは過去なのだ。オレが何かして彼の人生を狂わせてしまえば、最悪10代目にとって悪いことが起こるかもしれない。
ずっと走り回っていたのと、緊張で体が強ばっていたせいもあるだろう、走って河原に辿り着いた頃には、足と腰ががくがくと震えていた。
草むらに座り込んで、今度こそ、煙草に火をつける。煙を思いっきり吸い込むと、肺の奥の方がすうっと晴れてゆくように感じた。足の震えもだんだんと収まってゆく。オレはそのまま後ろに倒れ込んで、寝転がったまま空を見上げる。雲が流れてゆくのをひたすら眺めていると、頭を働かせなくて済む。とりあえず悪いことも期待も、何も考えないのが今は一番だ。
「おい、ダメツナ!おれたちのランドセル、ちゃんと家まで運べよなあ」
「いっこいっこ全部ちゃんと届けろよ!ばっくれたらしょうちしないからな」
聞き覚えのある渾名が耳に入って、オレは反射的に体を起こして立ち上がった。土手の上の道から聞こえたと、身を隠しながら声のした方を覗き込むと、そこには見覚えのある薄茶の癖っ毛を揺らした少年が立ちすくんでいた。
「じゃーなあ、ダメツナ。ダメダメのダメツナは、荷物運びくらいしか役に立たねーな!」
そう叫んで走り去ってゆく少年達の背中を、涙を目にいっぱい浮かべながら見つめている少年。3つのランドセルを抱えてその場に座り込んでしまったのは、紛れも無く、10代目──沢田綱吉その人だった。
(あいつら、10代目をよりにもよってパシリ扱いとは、ガキだからって許せん!)
思わず手がダイナマイトに伸びそうになったところで、さっきの言葉を思い出し、ぐっと我慢する。
(過去に干渉しちゃいけねえ──かよ、くっそ、むかつくな……でも、)
いきなり目の前に現れたオレを見て、10代目は少しびくりと肩を震わせる。小さな手はぷるぷると震えていて、明らかに怖がられているのが分かった。
(仕方ねえよなあ、この姿じゃ。ちょっとくらい、話すくらい、いいよな?別に、手を出すわけじゃねーんだし)
オレは精一杯優しい笑顔を10代目に向けて、少しの躊躇の後、言った。
「手伝いますよ、荷物運び」
10代目は不思議そうな目でこちらを見ていた。過去で会った好奇心旺盛な目と、やはり同じ目だ。びっくりして涙が引っ込んだのか、もう泣いてはいない。オレへの恐怖よりも、興味の方が勝ってきたようだ。
「おにいちゃん、だれ?」
10代目が小さな声でオレに尋ねる。オレはどう答えていいものか、一瞬返答に詰まった。
そうしたら、来た。あの白いもやもやと、足下が抜け落ちる感覚。
──何も今じゃなくっても!
オレはちょっとだけ抵抗してみようとしたが、そんなことは無理に決まっている。さようなら、小さな10代目──オレが緩く手を振ったら、10代目の小さな手も、振り返してくれたように見えた。
「さっき、ランボがバズーカをこっちに向けて撃ったとき、実は獄寺君には当たっていなかったんだ」
綱吉の冷静な話し声に、だんだんと周りの皆も落ち着きを取り戻しつつあった。ボスをぐるりと取り囲んで、彼の説明に聞き入っている。
「ランボが撃ったのは、ちょうど……この辺かな」
綱吉は自分の頭の横、数センチの辺りを、手のひらで円を描くように指し示した。
「ん?なんだそりゃ、丸っきりの誤爆じゃねえか。じゃあ、なんで獄寺が消えたんだ?」
山本は納得がいかない、といった表情で言う。
「ああ、なるほどな、そういうことか──」
対してリボーンは、状況を飲み込めてご満悦の表情だ。うんうんと、何度か頷いて、後ろにいたランボと山本の方に振り返って、言い放った。
「おめーが撃ったのは、ツナの”時間”だ」
だんだんとこの状況に慣れてきているのが分かった。その証拠にさっきまでがくがくと震えていた膝はすっかり平静を取り戻しているし、煙草の味が分かるほどには気持ちも落ち着いている。そして冷静に、今自分が何年のどこにいるのかを考えられるほどには、頭の回転速度が戻っていることも自覚していた。
しかし今回は、年月も場所も、確認する必要はない。今自分がどこにいるのか、そして今が何年なのか、すぐに分かってしまったのだから。
目の前には、少し大きめの並中の制服に身を包んだ、沢田綱吉その人がいた。初めて出会った頃の彼、しかし心なしか、少し幼くも見える。胸元に光る組章も、上履きのラインも、1年の頃のものだった。
10代目とオレは、並中の屋上に立っていた。10代目はこちらに背を向けているので、オレの存在には気付いていない。彼は金網にもたれ掛かりながら、校庭を眺めていた。ただただ静かに、髪をそよがせる風の音を聞くように。
校庭では体育の授業が行われていて、教師の叫び声がこちらまで聞こえてくる。良く見ると中1の頃の山本が見えて、なんとも不思議な気持ちが湧き上がった。まだ、オレが来る前の並盛で、この2人は、とてつもなく遠い距離で、お互いを認識していたのだろう。
10代目が山本に向けている目に込められた、憧憬だとか、羨望だとかいう感情が、今のオレにはとても滑稽に思える。だって彼は、オレのいた現在で、何もかもを手中に収めていたのだ。これ以上ない位の、地位も、名誉も、財産も、全て。
それがどうだ、しがない一中学生の、しかも今は部下にあたる山本に対して、オレの知らない10代目が、今では考えられない感情を抱いている。オレは無性に腹立たしさを覚え、今すぐ彼に駆け寄って、その目を塞いでしまいたい衝動に駆られた。
しかしすぐに思い直す。もうすぐ、オレはここにやって来る。あとほんの数ヶ月後のことだ。さっきは思わず声を掛けてしまったが、彼が随分と小さな頃のことだからと、きっとすぐに忘れてしまうだろうと、半ば言い訳めいた根拠で、たいした影響などないはずだと高を括っていた。
しかし今回は違う。今オレを認識すれば、後々12歳のオレに出会った10代目は、きっと今日のオレが10年後の獄寺隼人だと気付いてしまうだろう。それが非常にまずいということは、なんとなくだが想像がつく。今回ばかりは、ただひたすら、時間移動のリミットが来るまでじっとしておこう、そうオレは決意した。
この屋上にいると、10年前の感覚が、少しずつ、戻ってくるような気がした。授業をさぼって昼寝して、昼飯を食べて、10代目と山本と、馬鹿話をして──なにも起こらない、なにもかもが愛おしかった毎日。
あの頃のオレといえば、一も二もなく10代目のことばかり考えているようでその実、自分のことばかりで、他人を気遣う余裕すらなかった。10代目以外は誰もが敵、それは山本に対しても、ハルに対しても、それどころか、10代目の周りにいた全ての人間に対しても同じだった。
(オレも若かったもんだな)
10年前の10代目を見ながら、そんなことを考えていると気付き、自然と笑みがこぼれ落ちる。今のオレが果たして沈着冷静な大人かと言われれば、諸手を挙げて賛成することはできないが、昔の自分を振り返ることが出来るようになったのは、少しながら成長したからだと思いたい。
10代目は相変わらず、微動だにせず校庭を眺めていた。そういえば、とオレは思い出す。10代目は少なくともオレがこの学校に来てから、一度だって授業をさぼることはしなかったはずだ。学業のために疲れていたのか、授業中就寝についていることは多かったが、それでも必ず教室の、前から3番目の席に、彼は毎日座っていた。
──本当はおれ、ダメな人間なんだ。リボーンがいないと何にも出来ないんだ。あのおかしな弾のおかげで、獄寺君を助けることが出来たし、皆を守ることだって出来た。けど、あの弾がなくっちゃ、おれは大事な大事な君のことを、助けることも出来ないんだ──。
10代目がぽつりとそんな言葉を漏らしたのは、黒曜の事件直後のことだった。毒にやられた体を治療するために、数日間の入院が必要だと言われた。真っ暗闇の中、月の光が差し込む病室で、まるで泣きそうな表情を浮かべながら、10代目は言ったのだった。──おれは君のボスでいていいのか──と。
どうしてそんなことを訊くのか、不思議でならなかった。オレのボスは、10代目ただ一人だけだというのに。彼以外にボスは必要もないし、また存在すら認められなかった。
幾らリボーンさんのおかげだと言っても、10代目はいつだって身一つで戦っていて、それは紛れも無く彼自身の持つ力だったのだ。決して力に屈することのない気持ちの強さ、力に頼ることなく、皆を包み込むように守る優しさと温かさを持つ10代目に、オレは心酔しきっていた。だから彼が決して完璧な人間ではないことに気付いたのは、随分と後になってからだった。
本当は、出会った頃から気付いていたのかもしれない。10代目の不完全さに。気付いていながら、オレの中の理想のボスの姿を押しつけ、崇拝していただけなのかもしれない。そして10代目はそれに気付いていたのだ、きっと。
校庭を眺める10年前の彼の姿を見て、ああ、オレがずっと10代目を苦しめていたのだ、と気付く。こんなにも弱々しい背中で、彼はこれから10年もの間ずっと、無理を背負って生きてゆくのだ。
日本の小さな町で、クラスメートにすら怯えて生きてきた自分が、いきなりマフィアのボスになるという未来を押し付けられ、命すら危険に晒される毎日を過ごすことになるなんて、今目の前にいる少年には考えもつかないだろう。
果たして彼にとって、10年後の未来は、ほんとうに幸せな未来なのだろうか。
もし今オレが、彼に未来のことを教えたとして、彼の未来は変わることがあるのだろうか?
きっとあり得ないことだ。本当はそんなに簡単に、未来など変えられるはずはない。あのアホ牛を思い出せば、嫌でも分かることだ。あれだけ10年後からなんどもやって来ては、現在を引っ掻き回しても、結局何も変わらず時間は進んでいるのだから。
ああ、オレは何を考えているのだ。10代目が10代目でなくなってしまっては、彼の傍にはいられなくなるのに。ほんとうは、おっちょこちょいで、よく怪我をする10代目。お人好しで、時々敵に騙されては、その尻拭いをさせられているリボーンさんに、アホだ馬鹿だと罵られている10代目。10代目の困ったような笑顔が、目前に浮かんでくる。
(あー、やっぱり結構まいってるよな、オレ)
視界をくもらせる温かい涙を自覚して、オレは力一杯それを拭った。こんなにも近くに10代目がいるというのに、オレが欲しているのは、共に成長した、22歳の10代目なのだ。収まらない涙にたまらず、オレは思わず鼻をすすってしまう。
その音が意外と大きく響いたことに驚いて、10代目の方を見遣ると、びくりと肩を揺らして、恐る恐るこちらを振り向こうとしていた。オレは焦って給水塔の影に身を潜めて覗き見をする。10代目はきょろきょろと周りを見回して、不審そうな表情を浮かべていた。
(早く、移動しろよ!さっきからタイミングの悪い……)
そう言えば、先ほどから全く時間移動の気配がない。もうこちらに来てから30分は経とうとしている。やはり移動するたびに、滞在時間が延びているようだ。10代目はそろそろと、こちらに近づいてくる。
「先生、じゃないですよねー……?」
まるで独り言のように小さな声でそう呟く。不安と恐怖と好奇心がない交ぜになったような目で、10代目は音の主を探していた。だんだんと、給水塔の方へと向かってくるのが視界の先に見えて、オレはますます焦った。焦って、思わず叫んでいた。
「来ないでください!」
いきなり聞こえてきた声に、10代目はただでさえ丸い目を、より丸くして固まった。それから、どこから声がしたのかと、四方八方に忙しなく視線を移動させる。
「誰?」
不安そうに震えた、しかし強い口調の声が屋上に響き渡る。一瞬の躊躇のあと、オレは覚悟を決めて、何をどう説明すべきかを考えた。しかし何も思いつかない。黙ってばかりのオレには、さすがに10代目も不信感を抱いている。
「……すみません、詳しくは言えません。正体を知られる訳にはいきません。でも、オレはあなたを守るために存在する者です、沢田綱吉さん。どうか怖がらないでください」
自分の名前が得体の知れない不審者の口から発せられ、10代目はまたも肩を震わせた。一層猜疑心いっぱいの声で諌める。
「ほ、ほんとに誰なの?なんでおれの名前を知ってるんだ?……大体、守るって一体、」
「オレは、あなたをこれから一生かけて守ると誓っています。あなたは近い将来、生活が一変するような事態に巻き込まれるでしょう。それでも、いつだって命をかけてあなたを守る人間が、必ずあなたの近くにいるのだと、安心してください。あなたはとても強くて優しい人です。だからこそ、あなたを守らなくては、オレは……」
「強い?優しい?おれが?……なんだ、やっぱりあんた、おれのことなんて何にも知らないじゃんか。言っとくけど、おれは世界で一番ダメな人間だよ。なんせ渾名がダメツナだもんね」
自嘲めいた口調で、10代目は笑いながらそう言った。
「誰に言われたのか知んないけど、もうこういう悪戯止めてほしいよ。幾らおれが馬鹿だからって、そんなんじゃ騙されないからね」
「そんなことないです、あなたは、本当は強い人なんです。まだ、それに気付いていないだけだ。あなたは完璧ではないけれど、少なくともオレにとっては、誰よりも、尊敬できる人なのだと、忘れないでください」
オレがそう言い終わったのと、オレの視界が白くなってゆくのと、10代目がとうとうこちらに向かって駆け出したのと、全てが一度に起こった。
10代目は驚いた顔でこちらを見ている。全く知らない人間が、目に映っていることだろう。薄気味悪いと思っているかもしれない。どう見ても堅気には見えない人間が、自分を守ると言っているのだ。それでも、10代目は何かを感じ取ったようで、疑惑の中に、一筋の光のように、全てを理解したような、何もかも包み込むような目を向けてくれた。それで充分だった。
そうして一瞬にして、彼の目の前から、オレは姿を消したのだった。
「「は?」」
二人の疑問の声が重なった。山本は困惑の目を向けているし、ランボに至っては何も理解できていない様子である。
「そんなことが起こるなんて驚きだけどな、そうとしか考えられねえ。10年バズーカの仕組は今説明しても仕方がないから簡単に言うが、あれは時空を歪める武器だ。人に撃てばその人間の時空を歪めて、ちょうど10年後の自分をひっぱってくる。そのかわり、今の自分は10年後にひっぱられるんだ。それが自然の摂理ってもんだ。同じ時間に、自分が二人存在していては、いけねーからな」
リボーンの説明に、山本は首を傾げる。
「んー、分かるような、分からんような……で、それと獄寺が消えたのと何の関係があんだ?」
「その時空を歪める武器を、人間のすぐ近くにぶっ放したらどうなると思う?」
リボーンが視線を投げ掛けると、ランボは弱々しく肩をすくめた。目線は床に張り付いたままだ。自分の引き起こした事態が、どれほど大変なことなのか、彼にはまだ理解ができない。
「……分からない……」
「分からないでこんな危なっかしいもん使ってんじゃねえよ。まあいい、どうなるかっていうと、そうだな、今から話すのは半分真実だが、半分は喩え話だ」
2人は黙ってリボーンの話に聞き入っている。その様子を、綱吉は少し離れた自分の定位置から眺めていた。執務室の椅子はとんでもなく大きくて、長時間座っているのが困難なほどだ。その椅子をゆっくりと回転させたり、時折大きく伸びをしたりと、彼にはまるで緊張感が無い。強ばった表情の2人と同じ話を聞いているとは思えないほどに。
「人間は、時間を纏ってるんだ。今まで生きてきた時間──いわゆる人生ってやつだな。さっきおめーは、ツナの纏った人生を、そのバズーカで打ち抜いた。それはちょうど、時間に穴が開いた状態だ。その穴は時空の裂け目のようなもんで、うっかり触れると、時間自体に引っ張り込まれちまう」
ランボも山本も、まだ、完全には理解が出来ないと言いたげであったが、リボーンの強い口調と、”喩え話”という言い方に、彼の今の説明だけで、なんとか自身を納得させなければいけない、ということだけは分かった。山本はそのために必死に頭を回転させ、ランボは最初から理解することを諦めている。
「そんで、獄寺は、その裂け目に引っ張り込まれたってことなのか?」
「まあ、そんなようなもんだ。今頃あいつはツナの人生を彷徨ってるところだろうよ」
その言葉に、山本はぎょっとしたように目を見開き、そのままリボーンを凝視しながら言う。
「んじゃあ、もしかしたら、あいつは一生ツナの時間を彷徨ったままになるってことか?」
目に飛び込んできたのは、一面の赤だった。眩しくて、思わず目を瞬く。あまりにも強烈な夕焼けの色に目を奪われて、ここがどこなのかまだ判別できない。
今日何度目かの時間移動で、すっかりがたがたになった体に、夕日の光が痛いくらい染み渡る。目を開けないので、平衡感覚がなくなる。足がふらつき、近くにあった障害物に、思い切り手のひらをぶつけてしまう。痛い。じんじんと痺れるような痛みに、思わず顔をしかめる。
ぶつけた手には、木の感触が残った。ひんやりとして、固く滑らかな、懐かしい感触。
「机……?」
「獄寺君、大丈夫?」
聞こえてきた声に驚いて、反射的に顔を上げた。耳なじみの良い、さらりとしたこの声を、オレは良く知っている。逆光に目が慣れてくると、そこは5年前まで通っていた高校の教室だと分かった。窓際の机に腰掛ける影が、だんだんと良く知る顔に見えてくる。
「10代目……」
「すごい音したね。手、痛くない?」
そう言って、10代目は嬉しそうに目を細めた。オレは目を丸くする。
「驚かないんすか?」
そうは言ったものの、驚いているのはオレのほうだ。まるでここにオレが現れるのを知っていたかのように、10代目は平然とした顔でオレに話しかけてきたのだから。
「さすがに一瞬びっくりしたけど、なんとなく、君が来るような気がしてたんだ」
高校生の頃の、少しだけ低くて、でも幼さの残る彼の声が、真っ赤に染まった教室に響く。その瞬間、懐かしさが胸に込み上げた。もう、二度と会えないと思っていた、17歳の10代目が、今目の前にいるのだ。
「10代目、お元気でしたか?」
聞いてから、間抜けな質問だな、と心の隅で思う。おれの言葉に、10代目は声を上げて笑った。
「それは君が一番知ってるじゃないか」
17歳の彼は、既にゆっくりとボスの風格を纏い始めていた。今ここにいるボスは、随分と落ち着き払っていて、先ほどまで出会っていた12歳の彼とは全く違う。少し背が伸びて、その表情には大人の冷静さと、子どもの無邪気さを併せ持っていた。
「ねえ、5年前、並中の屋上にいたよね?」
オレはまたも驚かされることになった。
「覚えてらしたんですか?今、ほんの5分前まで、あなたと会ってましたよ」
「ほんとに?うわあ、なんか不思議だね。あの時さ、あんまり一瞬だったから、ずっと君だと気付いてなかったんだ。でも一度だってあの日のことを忘れたことなかったよ。君の言ったこともね。だってすぐその後に、本当に言った通りになったんだから。ところでさ、今、何歳の獄寺君なの?」
オレが歳を答えると、10代目は目を見張って、へえ、5年後かあ、と呟いた。
「そっかあ、やっぱりまだ背が伸びるんだね。おれ、これから背は伸びる?ああ、でも聞きたくないなあ、聞いたらがっかりしそうだもん」
そう言って笑う10代目は、やけに楽しそうだ。そのことに何故か、安心を覚える。
ふと思い出した。彼はこの時分、ずっとふさぎ込んでいたのだ。その理由を知っていたオレは、慰めることも、励ますこともできなかった。どうしようもなかった。それはオレの力ではどうにもできない、仕方のないことだったのだ。
「未来の獄寺君、覚えてる?おれ、明日、イタリアへ行くんだよ」
いつの間にか、すぐ傍に10代目はいて、オレの手を取り握りしめる。オレは10代目に微笑みを向けて、言った。
「良く、覚えてますよ。忘れる訳がない。今日のあなたをオレは、忘れることなんてできないです。朝の通学路で、何度も何度も立ち止まっては、じっとその風景を見つめてましたね。まるで頭の中で写真でも撮ってるみたいに。授業中だって、休み時間だって、ずっと愛おしそうに周りを見てましたよね。いつもよりお喋りで、それでいて誰にも気付かれないよう、自然に振る舞おうとしていらした。……オレはそれを見て、ああ、この方を本当に、イタリアに連れていっていいんだろうか、って思ったんです」
10代目は、一瞬目を見開いて、それからこれ以上ないくらい優しい笑顔を浮かべた。気のせいでないのなら、ほんの少しだけ、寂しそうでもあった。
「ありがとう。おれを見てくれてて。……おれ、ずっと言えなかったんだけど、ほんとは、すげー不安だったんだ。でも、向こうに行っても、君はずっと傍にいるんだよね」
「もちろんです。オレは今までも、これからだってずっと、10代目のお傍であなたを守ってますよ」
オレがおどけて二の腕を持ち上げるのを、10代目は可笑しそうに笑って見ている。オレもつられて笑った。
「今の獄寺君が幸せそうでよかった」
「はい、オレ今すごく幸せです」
「それならよかった」
「……10代目、17歳のオレと一緒に逃げません?」
「……今、幸せなんだろ?」
「だって、行きたくないんでしょう?なら、」
「やだよ。おかしなことして、22歳のおれに恨まれたくないし」
10代目はオレの提案を冗談めかして笑い飛ばした。冗談だと思ったのだろう。だけどオレは少しだけ本気だった。
今日という日、17歳のオレは、半ば本気で彼を連れて逃げようと考えていた。名残惜しそうに並盛を眺める10代目を見て、もしかしたら、2人でなら逃げられるんじゃないか、そして2人でどこか遠いところで、ささやかな生活を送る事ができれば、そう考えていたのだ。
それでも、実行に移せなかった。17歳のオレは、何もできないただの子どもだった。ただ、背中を押す一言さえあれば、きっとそれが不可能だとしても、行動に移していたのではないだろうか。
「10代目が、一言、逃げようと言ってくだされば、17歳のオレは、あなたをどこにでも連れ出すことができます。ほんとうです。だってオレは、ずっと考えていたんだ。あなたと2人だけでひっそりと暮らし、ずっと一緒にいる未来を、」
オレは10代目の瞳の奥をじっと見つめた。困惑と迷いが、彼の瞳を揺らめかせる。
「なに、今更言ってんだよ……」
「まだ、今なら間に合います、10代目、もし本当に逃げ出したかったら──」
最後までは言えなかった。それでも視界の塞がれる瞬間、10代目の表情が見えた。それは、とても幸せそうな、恋人に愛を囁かれたような、微笑みだった。
「大丈夫だよ」
その言葉が彼の口から発せられるのは今日2度目のことだ。今までじっと黙って話を聞いていたボスが口を開いたと、その場にいた3人は一斉に彼の方を見た。不安そうな目、混乱した目、冷静な目。6つの目が綱吉を射るように見つめている。
「さっきも言っただろ。獄寺君は大丈夫だって。もう、あと少しできっと、ここに戻ってくるよ」
「なんでそんなに自信を持って言えるんだ?幾らおめえが、過去に今日のあいつと会ってたからって、戻ってくるかなんて分かんねえだろ」
リボーンは呆れたような口調で綱吉を見遣った。彼がいつでも最悪の事態を想定していることを、綱吉は良く知っているが、今回ばかりは譲れないといった様子で、リボーンの強い口調を遮るように言葉を発する。
「彼に会った5年前から、おれはずっと、彼の奇妙な時間移動について、独自に調べてたんだ。どうせ10年バズーカの誤射だろうって予想は出来たから、ボビーノの開発部まで出向いて色々聞いたりしてね。それであの時間移動が、バズーカで空を撃った時に起こる事故だと分かった」
ダメツナの癖に、なかなかやるじゃねえか、と呟く声はリボーンのものだ。山本はすっかり綱吉の”大丈夫”を信用し切っていて、ツナすげーなあ、などと言って笑うという切り替えの早さを見せている。ランボに至っては、どうにか責任を逃れたい一心で、獄寺の帰りを天に向かって祈っている有様だ。
三人三様の反応を気にも留めず、綱吉は話を続ける。
「10年バズーカは、正射誤射関わらず、どれだけ細かくても、5年単位でしか時間を区切れないみたいなんだ。以前に誤射で他人の過去に飛ばされた人も、きっかり5年区切りで時間を移動続けて、元の時間に戻ってきたと言ってたから、その辺は正確みたい。どうして5年ずつ未来へ時間移動していくのかは、どうも開発部の人間も完全には解明できてないっぽいんだけどね……。獄寺君はあの日、ほんの5分前まで、12歳のおれに会っていた、って言ってた。これはおれも良く覚えていた。その前は7歳──これも確かだよ。なんとなく、会った日のことを覚えてるんだ」
「おいおい、獄寺のやつ、痕跡残しまくってんじゃねえか」
そう言って山本が笑う。リボーンはますます呆れ眼になって、あいつは本物のバカだ、ランボ以上だ、と呟いた。2人の言葉に、綱吉は苦笑を浮かべる。
「まあ、結局どれだけ過去に干渉しても、大きな時間の流れは変えられないってことだよ。ランボだって10年前に随分と面倒を起こしていたけど、結局何の影響もなかったしね」
伸びをしながら話す綱吉を見ていると、山本の頭に先ほどのリボーンの言葉が再生された。思いついた疑問が口をついて出る。
「でもさ、あいつが過去に行って、過去のあいつがこっちに来てないってことは、同時に2人の獄寺が、その時代に存在してるってことだろ?それって大丈夫なのか?自然のセツリとかゆーのは」
「ああ、それなら大丈夫だと思うよ。さすがに2人が同じ場所にいて顔を合わせていたら、何が起こったか分からないけど。少なくとも、12歳まで彼はイタリアに住んでたし、17歳の時は、最初から最後まで、おれと二人きりだったしね。それに、なんで誤射だと5年毎に飛ばされるかっていうとね、10年バズーカが、同時代に同時存在していることを感知するからなんだ。その瞬間、時間移動は実行される」
それだけ言うと、綱吉は大きな机に手をついて立ち上がった。その途端、空気がぐらりと歪んだような感覚が4人を襲った。部屋中が大波にさらわれた船みたいに揺れて、足下が抜けたかに感じたものの、それはただの錯覚で、次の瞬間には何もなかったように、空間は平静を取り戻していた。
本当は、ずっと心配していたのだ。それでも安堵の表情を悟られまいと、彼は目一杯の笑みを浮かべて、部屋の真ん中に現れた、絨毯に座り込む彼に手を差し出した。
「おかえり、獄寺君」
差し伸べた手に体温が移る。手を取り立ち上がった獄寺は、照れ笑いを浮かべて、ただいま戻りました、と小さく口を動かした。
「結局、言ってくださらなかったんですね」
「なにを?」
「一緒に逃げようって」
騒がしかった執務室に、今は二人っきりだ。さっきまでは本当に大変だった。戻ったばかりの獄寺君を目に留めた途端、ランボは安堵したのか大声で泣き始めるし、リボーンはそのランボを一喝したと思ったら、そのまま首根っこを掴みながら引きずり出してどこかに消えてしまうし。山本はすっかり元の能天気な笑顔を取り戻して、戻って来れてよかったなあ、などと言いながら欠伸を一つ浮かべ、この部屋を後にした。
残されたおれと獄寺君は、とりあえず向き合って、力の無い笑みを見せ合った後、部屋の隅っこに置かれた大きなソファに、引力にひかれるまま落ちて行った。真っ白なソファはやけにふかふかと柔らかく、疲れた体を埋めると猛烈な眠気が襲ってくる。ここでじっとしていたおれでさえこんなにも疲れているのだから、獄寺君の疲労はどれほどのものだろう。隣に座る彼を見遣ると、疲れきったのか、手足をだらりと垂らして全体重をソファに預けている。眠りの体勢に入りながらも、おれからの返事を待つかのように、彼の目はこちらに向いていた。
「君があんなこと言わなければ、言ってたかもね」
「ええ!?そうなんすか?」
おれが意地悪そうに口元を持ち上げると、獄寺君は眉を八の字に歪めて気の抜けた声を上げた。
だけどそれは本当のことだ。あの日、もし獄寺君に出会っていなければ──おれはきっと17歳の獄寺君に向かって、その言葉を発していただろう。
「今から一緒に逃げる?22歳の獄寺君」
静かに発せられたおれの言葉に、獄寺君は目を見開いて、一瞬の躊躇の後、俯き加減に口を開いた。
「……できません」
「あはは、おれも。できないよ」
おれが笑ってそう言うと、獄寺君も困ったような笑顔で、ははっと小さく笑った。
「意地の悪いこと言わないでくださいよ。これ以上心臓に悪い言葉を聞いたら、死んじまいます」
本当は、おれも獄寺君も、今の生活を抜け出したいなんて、大して思ってはいないのだろう。あの時獄寺君が心配していたのは、今のおれではなく、17歳のおれだったのだ。
17歳のおれは確かに、イタリアへ渡る事を躊躇していた。必死で取り繕っているつもりだったけれど、きっと近くで見ていた獄寺君には手に取るように分かったはずだ。それが結果、知らず知らずのうちに、彼をずっと苦しめていたのだろう。
「イタリアへ行くこと自体に躊躇してたんじゃないよ」
おれはまっすぐ前を見て言う。
「不安だったんだ。もしイタリアに行って、何もかもが変わったら、おれは一体どうなってしまうんだろうって。あの頃はちょうど周りも落ち着いて、ゆっくりと考える時間が出来たところだったしね。悪いことばっかり浮かんでくるんで大変だったよ。人を殺す感触を想像することもあった。その上、17歳の君は何も言ってくれなかったから、余計に不安で……今の状況から、逃げ出したくってたまらなかった」
おれは話しながら獄寺君の肩にもたれかかった。昔を思い出すと余計に疲れてしまう。獄寺君の肩は大きくて、スーツからはぱりっとした糊の匂いがした。
「でも、22歳の君が言ってくれたんだ。一緒に逃げようって。嬉しかったなあ。君はいつだってボンゴレが一番大事なんだと思ってたから、同じことを考えてくれてたなんて気付きもしなかった。ずっとおれを気にかけてくれていたのも分かったし、それにあのとき君は幸せそうに笑ってた。だから、未来はきっと悪いことばかりじゃないんだなーって思ったらさ、覚悟を決めることができたんだ」
一気に話し終えるとひと呼吸置いて、オレは預けていた頭を持ち上げた。獄寺君も体を起こしてこちらを見ている。彼は憮然とした表情をしていて、それが可笑しくてたまらなかった。
「余計なこと言わなけりゃよかった……」
獄寺君はそれだけ言って、再びソファへ体を沈めた。それを見て、おれは声を上げて笑った。
「やっぱり未来なんて、そうそう変わることはないんすかね」
数時間前の自分にひとしきり文句を垂れたあと、獄寺君はそう呟く。そうかもしれないな、とおれは考える。
「うん、でももし君があの時来ていなかったら、今、もっと不幸だったかも」
もしもあのとき、おれが逃げようと言っていたとして、果たしてこの未来が訪れないなどと断言できるのだろうか。きっと、二人だけで逃亡するなんて不可能だったと、良く考えてみれば分かることだ。まずおれたちには先立つものもなかったし、ボンゴレの情報網が恐ろしく発達していることだって知っていた。その上でもし、覚悟を決めて実行に移していたとしても、1年と経たない内にイタリアへと連れ戻されていたことだろう。
想像するだに、とても恐ろしいことだ。それは存在したかもしれなかった、もう一つの未来。だけど今おれ達のいる現在は、獄寺隼人の時間移動なしでは存在しえなかった現在なのだ。
「ランボが誤射をしたおかげで、今君と一緒にいられるのかもしれないなんて、不思議だね。本当のところは分からないけど、そう思ってた方が面白いや」
「それじゃあ、オレが10代目と一緒にいる現在は、必然の出来事ってことですね」
「運命かもね」
「オレたちは運命の恋人ってことですか?」
「いつの間に恋人になったの?おれたち」
そう言ってくすくすと笑いあって、おれたちはキスを交わした。獄寺君の香水の香りが鼻をくすぐる。それは花畑のような香りだった。目を開けると、みどり色の瞳が、おれを映していた。ああ、この目の色、とても好きだな、そう思う。
「きっとあなたと初めて出会ったときからですよ」
おれはとうとう吹き出して、獄寺君は照れ臭そうに笑った。