ベルベット・イースター



 その日はちょうど復活祭で、街中がざわざわとした空気に包まれていた。おれの目の前にはチョコレートでできたイースターエッグが籠に積まれて置かれていて、包み紙にはうさぎの絵が入っていた。一つ手に取り、銀色の包み紙を剥がす。口に入れると、ひりひりとした甘さが広がった。
「第7カポのジジが殺されたって」
 おれは目の前で卵とにらめっこしている獄寺君に声をかける。彼は復活祭用のイ−スターエッグを一つ一つ手作りしていて、既に大量のカラフルな卵で部屋はいっぱいになっていた。絨毯に座り込んで卵を凝視したまま、彼は答える。
「へえ、こんな神聖な日に、血腥いっすね」
 まるで、天気の話でもするように、おれ達はジジの死についてお喋りしている。大体ジジって誰だっけ、という位、遠くて、大して重要でもない人間の死は、明日の天気よりも興味をひかれないのだから、仕方がない。
「ほんとにね……で、獄寺君、そんなに卵作ってどうするの。おれもうオムレツには飽きたなあ……」
 足下に転がっていた赤と黄色の縞縞が描かれた卵を拾い上げて、おれは言う。彼が空にした卵の中身は、ここ数日の食事にずっと使われていて、すっかり卵嫌いになりそうな程だ。
「これ、知ってます?こっちでは、家中に隠して子どもに探させるんですよ」
 と、どうでもいい知識を得意げに話す獄寺君に呆れた視線を向けてから、窓の方にそれを移す。
 こんなにも部屋中がお祭りの空気に包まれているというのに、外に一歩出れば、そこはただただマフィアの城で、何も楽しい雰囲気などない。それとも皆静かにキリストの復活を祝っているのだろうか。こちらに移って6年経つけれど、この城はいつでも静かで、クリスマスもニューイヤーも、ただ漠然と時が流れていた。
「ほんとに……おめでたい日だというのに」
 この世界の血腥さと言ったら。

「獄寺君はクリスチャン?」
 ふと思い立って、おれは聞く。
「んー、一応洗礼は受けてますけど、そこまで熱心じゃないっすよ」
 全く敬虔ともいえない仏教徒だったおれは、こちらに来た当初、着くなり近くの大きな教会で洗礼を受けさせられ、いつの間にやらクリスチャンになってしまったのだ。だから正直、キリスト教がどういう思想かなどは余り良く分かっていない。ただ、日本にいた頃に良く街頭演説をしていたクリスチャンが言っていたこと──
 悪い事をしたひとは、地獄に堕ちるのです。
 良い事をしたひとは、天国へと行けるのです。
 ばかなおれでも、良い事というのがつまり、キリスト教徒になることだと分かっていたので、なんだか調子の良い思想だな、なんて思っていたが、あれはいわゆる新興系で、ヨーロッパ圏のものとは別物なのだと、イタリアに来て分かったのだった。
 おれはあの日本の一部の独善的なキリスト教が好きではなかったけれど、イタリアの教会は綺麗だと思う。ステンドグラスがキラキラと光を受けて輝く様は、確かに神様がそこにいるように思えるし、それを信じて毎朝お祈りに来る町の人たちは、なんだか毎日が楽しそうで、素敵だ。
「あの教会に来るひとたち、ほんとに天国とか地獄とか、信じてるのかな」
 きっと獄寺君に聞いても無駄だとは思いつつ、おれはそう尋ねる。
「さあ、信じてるやつもいれば、信じてないやつもいるでしょうね」
「獄寺君は?」
「分かんないっす、行ったことないですしね」
 獄寺君の答えは、至極当然だ。でも世の中にはそう信じて、死ぬことに恐怖を覚えず、身を挺して人を殺すやつもいるのだ。
「殺されたジジってさ、敵方の自爆に巻き込まれたんだよ」
 卵にばかり注目していた獄寺君の目が、こちらをちらりと伺う。その目はすぐに元の場所に戻された。
「へえ……」
「自爆したひとはさ、天国に行けると思ったのかな」
 獄寺君は、ははっ、と笑って、まさか、と言った。
「幾ら馬鹿でもそんな幸せなやついませんよ。きっと、そいつはボスの命令に逆らえなかったんだ。逆らっても死、逆らわなくても死──ジジには悪ぃけど、その自爆したやつも可哀想なやつっすね」
 また現実に引き戻された気がした。この世界は──そういう理由で人が死ぬのだ、と思い出す。きっとその人に射撃の腕やナイフの腕があれば、自爆などせずに済んだのだろうけど、何もなかったのだろうな、可哀想に。
 そう、可哀想という感情は、何かに蓋をするためのものだと知っている。可哀想とさえ思っていれば、もうそこで思考はストップして、無駄なことを考えなくて済む。だからおれは思う、可哀想だと。
 本当は、知っているのだ。明日は我が身で、それは隣にいる獄寺君も同じだということを。
 隣にいる愛しい人は、明日死んでしまうかもしれない世界にいるのだ。
 きっとそれはどこにいても同じだろう、世の中には交通事故や病気と言う死因だってあるのだから。
 でも、その確率は格段に上がる、この世界は。
 死に往く人をただ可哀想と思って、せめて今だけは、死を他人事のように思っていたかったのに。
「ああ……いやだ。また考えちゃった。きちんと意識して、考えないようにしていたのに」
「何をですか」
「君が死んでしまうことを」
 獄寺君はさすがに今度は視線を卵に戻すことなく、こちらを凝視していた。そして笑って言う。
「そんなこと真剣に考えないでくださいよ」
「そんなことって、じゃあ君は、考えた事ないの?おれが死んでしまうかもしれないってこと、」
「ありません。何故かっていうと、あなたが死ぬかもしれない時は、オレが死ぬ時だから」
 それは遠回しに、おれに何かがあっても、自分が身代わりに死ぬのだと彼は言っていた。
「そんなの、変だよ、矛盾してるよ、君が考えるなって言ったことを、君は考えてるじゃないか」
「でもオレは、あなたが死んでしまうことなんて考えられない。だって、そんなこと考えたら、恐ろしすぎて死んでしまいます」
 観念的でよく分からないことを、獄寺君は言った。
「おれだって、怖いよ、君が死んでしまうことを考えただけで、苦しくって死んでしまいそうになる」
「そんな風に思わないでください、慣れてください、オレがいつ死んでも大丈夫なように、オレの死をもっと簡単で、なんでもないことだと思って」
「いやだよ、」
 十年前、それが厭でイタリアに行きたくなかったというのに。それを、どうにか考えないようにして、幸せな終末だけを考えて、これまで来たというのに。
 獄寺君はいつの間にか笑みを引っ込め、真剣な表情を浮かべて言った。
「10代目、ここはイタリアで、あなたはボンゴレのボスなんです」
「そんなこと、君に言われなくても分かってるよ!」
 おれはさっきから手で遊ばせていた卵を思い切り獄寺君にぶつけた。それは彼の額に当たって砕けた。ぱらぱらと、白い欠片が彼の膝に落ちる。おれは獄寺君を見る。彼は少し悲しそうな目をしてこちらをじっと見つめていた。
「ごめん……」
 おれが謝ると、獄寺君は首をゆるりと横に振って、いいえ、と呟いた。おれはなんだか途轍も無く悲しい気分になって、その瞬間、死というものを垣間見た。それは心に穴がぽっかりと空いていて、普段は埋まっているその穴が、ふとした瞬間に崩れ落ちて大きく広がってゆく感じだ。大きな穴はそのまま何もかも飲み込んでしまって、全てを失ってしまうのだ。その悲しみは涙を次々と呼んで、両方の目から大きな雫となって零れてゆく。
「10代目、泣かないで……オレは大丈夫ですから」
「違う、そうじゃないんだ」
 涙はどんどんと溢れて、彼は一生懸命にそれを拭った。彼の両手がびしょ濡れになるほど、おれは泣いた。
「おれは、君に会えなくなるのが厭だ。ただそれだけ……君とずっと一緒にいたいだけなんだ……」
 泣きながら言った言葉は本当に単純で、まるで高校生が恋人に愛を囁くような陳腐なものだったけれど、それは紛れもなく本心だった。言葉というものは、強く思うことほど、単純になるものなのだ、そう思った。
「じゃあ死んでも会いに行きます」
 獄寺君はおれをぎゅっと抱きしめて言う。強く強く抱きしめられて、彼の鼓動を感じながら聞くその台詞は、余計におれの涙を誘う。
「死ぬなんて言わないでってば、生きて側にいてよ、約束してよ」
「それは出来ません、」
 こんなところでカラフルな卵に囲まれて、心臓の音が聞こえて、それでこの台詞は、なんて現実味がないんだろう。まるで死と遠いところにいるというのに、どうしてこんなにも今、まさに今だ、死を考えてしまうのは──何故?
「……じゃあ、死んでも復活してよ、キリストみたいにさ」
 獄寺君は、その台詞に吹き出した。おれは真面目に言ったので少し腹が立って、獄寺君の耳に噛み付く。笑いながら、誘わないでくださいと言っておれに沢山キスを落とした。おでこと、耳と、眉間と、まぶたと、頬と、首と、手と、沢山。
「何度でも、復活してあなたを守ります、約束です」
 そして最後に唇に。それは約束を交わす合図だった。
「死んでも、君の棺桶の前でずっと待ってるからね」
「それは緊張しますので、止めて欲しいです」
 そんな会話に二人で一緒に吹き出して、一緒になって笑った。心の穴なんてこんなにすぐに消えるものなのだなと、おれは頭の片隅で考えた。
 ほんとうに、簡単なものだ。

 カラフルな卵達は、城中にバラまかれた。主におれと、獄寺君によって。途中で山本に出会って、獄寺君は、これお前も隠せ、と卵を半分押し付けた。山本は苦笑いして、絶対分かんねーところに隠してやっからな、とそれを持って何処かへ行ってしまった。数時間後再会すると、卵は綺麗に無くなっていて、おれ達は笑った。
 きっと誰も隠された卵達を探すつもりはないのだ。
 ただ、何日か後、何ヶ月か後に、ふとしたところで卵を見つけて、獄寺君と、彼の死について思い出すためだけに、おれ達はそれをバラまいたのだった。




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