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ナイトクルージング(チアノダ/のだめ)

アップアンドダウン、スロウファースト。
そう、歌うように囁くように。
静かに、大きな嵐の前の静けさのように。
そこで、大きく息を吸って。
途端に、速くなる鼓動。
走って、もっと走って。
白と黒の波の上を、翔るように踊るように。
スピードは緩めないで。
このまま、空でも飛んでいけるかのように……

 高音のアルペジオが響き渡る。
 パリの空は静かに、のしかかるように重圧を与えつつも、どこかカラリと諦めを孕んだようで、とても美しい色をしていた。それは漆黒とはいえず、夜道を照らすほのかな明かりが空全体を被ったような、不思議な夜の空の色だった。
 アパルトマンの窓から切り取られたような三日月が、寂し気に横たわっている。彼女はふとそれを見上げてから、名残惜しそうにピアノの上の譜面に目線を戻した。
「もう一度始めから、」
 おれがそう告げると、彼女は少し目を細めて、無言の抗議をこちらに向ける。気付かない振りをして、目を逸らせば、彼女は諦めたように、音色を奏で始めた。
「アップアンドダウン、スロウファースト……」
 この曲は、彼女のために創った曲だ。とても静かで繊細で、深い闇のようでいて、跳ねる、飛ぶ、そして躍動を欲しいままにする、まさに音楽そのものの彼女にぴったりの。
「深い闇なんてありませんヨ。」
 指を器用に動かしながら、彼女はそう反論してきた。
「わたしにはまだ分かりません。こういう、感情の動き、」
 彼女の指は止まらない。32分のアルペジオ、それは情熱?それとも焦り、もしくは決意かもしれない。
「でも良い曲デス。とても好き」
 めくるめく展開。いつの間にか窓の外は、深い紺から鮮やかな水色へのグラデーション。眩しいくらいの金色の朝日が、もうすぐそこまで来ているのだろう。ちょうど東向きの窓から差し込む光が楽譜に反射して、眩しすぎてもう何も見えない程だった。
 どうせ、彼女の前では楽譜など何の役にも立たないのだ。
 もうすぐ、彼女の音が朝を呼ぶ。



end-- 













Metropolitan Love Affair (チアノダ/のだめ)

 真夜中のパリの街はしんと静まりかえっている。
 大きな声で歌う彼女はくるくると廻りながら、空に光る星を掴もうと長い腕を伸ばした。
「パリの夜はやさしい!」
「空が落ちてきそう」
 パリには日本のように高いビルもない。空を支える柱はきっと教会の十字架だけだ。仄かに光る街灯の明りが彼女の白い肌を浮かび上がらせる。彼女は気高い猫のようだ。
「のだめの気持、日本では湿気に遮られて届かなかったんデス」
「パリの空気はすごいです。音も気持も、いっぱいに響きます」
 おれは彼女の一歩後ろをゆっくりと歩きながら、静かに微笑んだ。普段なら話にもならない話だと、一蹴してしまう彼女の言葉が、不思議とじんわり染み込んでくる。きっとこれは夜の魔法なのだ。だから普段言わない言葉が口をついて出てしまっても仕方がない。
「おれの気持も届いてるのか?」
「もちろんデス!」
 ふたりは小鳥のようなキスをして、明日は美味しいパンを食べようと約束した。

end-- 














煙草と恋愛(サンナミ/one piece)

 うちの料理人はいつも煙草を手放さない。
 一体いつ吸っていないのか、最後に吸っていない所を見たのはいつだったか、それすら思い出せない程、彼は煙草と共にあった。
 料理人が使うには余りにも小さなキッチンで、彼は所狭しと動き回り、私たちの日々の食卓を彩ってくれている。料理を作る時だけは煙草を銜えてはいないようだったが、その間もいつも煙草は傍らにあった。
 私はある日、思いきって質問してみた。
「あなたにとって、煙草とは何なの?」
 そう聞くと、彼は困ったように笑い、
「恋愛と同じですよ」
 と答えた。
 私には分からなかったが、彼が美味しそうに煙を吸い込むのを見ていると、なんだかその答えがとても意味のあるもののように思えた。

 ある日、彼は一人でキッチンの掃除を始めると言った。
 私は新しい航海図を描くのに忙しくて、最近はずっと部屋に篭りっぱなしだったから、気分転換に、彼の仕事も見られるからと、キッチンに置いたテーブルで作業をしようと、それに付き合った。
 普段料理をしているのと同じくらいせわしなく、小さなキッチンの角から角までぴかぴかに磨き上げている最中、良く見ると、彼の口に煙草はなかった。
「珍しいのね、煙草を吸っていないなんて」
 私が問いかけると、彼は口の端を上げて呟いた。
「俺にとっちゃ、これは神聖な儀式ですからね、」
 そしていつになく真剣な顔をして、床を磨き始めた。
「手伝おうか、」
「あなたはあなたの仕事をするべきだ。これは俺の仕事だから」
 床に這いつくばって、雑巾で擦りながら、彼はにこやかにそう言った。
 私は原稿用紙に顔を落として、それ以上話をするのを止めた。

「ねえ、前に言っていた、煙草と恋愛が同じって、どういう意味?」
 1時間もすればペンを動かしていた腕は悲鳴を上げ始め、2人の休憩も兼ねて、彼は美味しいココアを練ってくれた。暖かいカップからふわりと湯気が漂い、彼の顔を時折見えなくさせる。
「それさえあれば、他は要らない」
 そういう意味です、と彼は言葉を続けた。
 ピカピカに磨かれた床を見ながら、私は続けて聞いてみる。
「さっき、キッチンを掃除していた時に吸わなかったのは?」
「料理は生業だから。これで食ってるようなものだから、必要不要というものじゃあないでしょう」
 そう言って、ポケットから煙草のケースを取り出し、トントン、と叩いて1本取り出した。
 火を点けるのは、彼がずっと以前から愛用している古いオイルライターだ。初めて会った頃から、それはいつも彼の手元にあった。
「私は恋愛なんて必要ないわ。そうね……紙とペンさえあればいい」
「余り似ていないね、俺たち」
「そうね」
 2人はそう言って、真っ白な湯気と煙草の煙越しに笑い合った。

 その晩、私と彼はキスをした。
 彼は恋愛が必要だという。私は恋愛は不要だと思っている。
 そんな2人が恋愛をするだなんて。
 私は先のことなど何も考えずに、ただ彼の唇を求めた。
 微かに煙草の匂いがした。
 彼は私の耳もとで囁いた。

 あなたが俺を必要としていないのなら、俺はあなたを煙草ほど愛そう。

 私は余りに快感で、今なら紙とペンも要らないわ、と一瞬思った。

end--

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