月もまあるい


 月の丸い夜だった。冷気が肌に突き刺さるような寒い日だ、手がかじかんで刀を取り落とさぬようにと、斬込隊全員に携帯懐炉が配られた。それを手に、攘夷連中の集会があると密告があった料亭の軒向かい、小路の陰に数人、身を潜ませ機会を伺った。
 間もなく、先に忍び込んでいた監察方からの合図が光った。すぐさま押し入りを開始する。隊を構成するのは、真選組副長と、隊長含む一番隊隊士が計十人。玄関で「御用改めである」と告げると、出迎えた主人はさっと顔色を変え、何も言わずに道を開けた。料亭を囲むように備えつけられた回廊を早足で突き進む。ぎしぎしと、耳障りの悪く家鳴りのする音が響く。最奥の大広間、襖を開けると、みすぼらしい格好の男どもが十人、銚子を片手に目を見開いたまま固まっているのが目に入った。
 逃げる隙も与えず、切り掛かる。手前に座った狐目の男の肩から腰にかけて一線、滑らかに刀尖が走った。沖田の剣だった。続けてくると反転して一太刀、横一文字に刀身をひく。これで二人目。左から振り下ろされる太刀筋を、ひらりと躱して菊一文字を振りかぶりざま、相手の額を叩き割る。三人目。
 沖田の身につけた流儀は人を殺すための剣である。しかしながら、まるで舞踏のような動きで縦横無尽に飛び回る彼の体には、返り血の一つも浴びてはいない。舞台の殺陣か、はたまた剣舞か、沖田の型を見ていると、観劇でもしているかのような錯覚に陥る。今日の仕事は楽に済むな、と土方は視界の端で踊る沖田を見ながら思った。
 土方の予想通り、ものの十分と経たないうち、舞台は終わりを迎えた。倒れ込んだ男が一人、痛々しいうめき声をあげながら、恐怖に見開かれた目で下手人を見上げた。線の細い亜麻色の髪が、風もないのにふわりと揺れていた。切り掛かられたときには鬼そのものの姿をとっていたのに、刀を下ろした今、手練者には一見して思えない、まだおぼこげな若者である。無意識に宙を掻く手が、沖田の刀に貫かれ、男は声にならない悲鳴をもらした。

 呆気ないものだった。新進の攘夷組で、組織力も覚悟も持たないただのチンピラの集まりだ。近頃巷にこういった輩が増えた。大した驚異にもならない。無駄な殺生だが見せしめのため、最小編成の隊で斬って回っている。
 畳の上にできた血溜まりが粗方乾いたという頃、検分から戻った土方は部屋の隅で惚けたように突っ立ったままの沖田に声をかけた。
「おい総悟、ぼっとしてんな。テメェんとこの隊士くらいテメェで動かせ」
 振り向いた目の色は燃えるように赤い。この一見落ち着き払ったように見える若者は、人を斬ると稀にこうなる。気の昂りを鎮めるのに時間がかかるのか、ぴりぴりと張った空気を纏い、日常を排除しようとするのだ。土方の声が聞こえているのかいないのか、彼は何も答えない。ただ一心に、宙を見つめている。
 仕方ねえ、とひとりごち、土方は浪士の運び出された後の広間で、申し訳程度に血痕を拭き取っていた隊士へ退却の指示を出す。替えの畳代はすでに真選組勘定方から支払われているだろうが、部屋中に充満する血の臭いは、しばらく取れそうにない。これではしばらく商売もできまい。御用改めで問答無用に斬り込むのは、その後に問題があると分かっている。しかし責められるいわれはない。いくら世間に嫌われようと、蔑まれようと、これが真選組の仕事なのだ。
 隊士が全員退いたのを確認し、土方はもう一度、動こうとしない沖田に声を掛けた。いまだ手には、乾きかけの血と脂を纏ったままの刀がある。
「総悟、退却だっつってんだろうが。早くその、泥っどろの刀ァ仕舞え」
 沖田は無言で刀を一振りし、乾ききらない血を払った。次に懐から懐紙を取り出すと、乱雑に刀身を拭い、鞘に収める。それから言った。
「土方さん、俺ァ人を斬るのが好きだ」
 落ち着いた声色は、いつもの飄々とした沖田のそれと変わらない。しかし言葉の端々に鉛のような重さが纏わりつき、土方の内に沈み込もうとする。沖田の表情を伺うと、先ほどまでのぎらぎらとした獣じみた色合いは残っていなかった。静かで、しかし常ではない。
 土方は冷静を装って口を開いた。
「そりゃ今の仕事は天職じゃねぇか、よかったな」
 その言葉に、沖田はくつくつとかみ殺した笑みで応える。
「違いねェ。しかし俺の剣は近藤さんの教えだ、あの人のくれた業で、俺は仕事と偽って、自分の楽しみのために人を斬ってるんでさァ」
「それがどうした。近藤さんだって人を斬ってる。それが仕事だからだ。近藤さんの受け継いだ流儀は、もともと実戦をふまえて作られたもんで、何も間違っちゃいねぇ。お前が肚ン中で何を考えてようと、真選組としてきちんと仕事果たしてくれりゃあ、問題ねェさ」
 沖田の赤々とした目の奥が、行灯の火のように揺らいだ。その目が強く土方を見据える。人を斬った後の昂ったものではなく、いつも寄越される殺気立ったものでもない。そこにある感情が何なのか、土方には掴み切れない。
「土方さん、あんたはいいですねィ。いつだって近藤さんと対等だ。あんたのソレ、」
 沖田はちらと土方の腰にささるものに視線を流し、続けた。
「それァあくまであんたのもんだ。俺のこれとは違って」
 これ、と言って沖田が指したのは、自らの腰のものであった。不思議と愛おしそうに柄を撫でる仕草が、まるで刀に恋でもしているかのように優しい。その発言の意味するところを、土方はすぐに汲みとった。
「……俺が免許をもらえなかったのは、俺の剣の癖が強すぎるせいだ。独学で剣振るってた頃のが災いしてな。型も何もあったもんじゃねぇ、ひでェもんさ。そりゃお前が一番よく知ってるだろう」
 事実土方は、近藤の流派の免許を持っていなかった。近藤がまだ宗主になる前、前代師範から言い渡されたことだ。お前の剣は手癖がつきすぎている、今からどれだけ習っても、正しい流派の型は身につけられん、と。
 土方の言葉に、沖田は鼻で笑った。
「ああ、確かに土方さんの型はひでェや。流派の掲げる実戦向きなんてもんじゃねぇ、ほんとの実戦にしか使えねぇ代物ですからねィ。でも近藤さんは違う。いくら人を斬るための剣だっても、近藤さんは元々、道場の剣術使いだ。あの人ァいまだに、真剣で人を斬ることに躊躇がある。あんたも分かってるんでしょう。だから今日みたいな小物を為留めるには、前線に出させねェ。しかし言っても真選組局長ですからねィ、大捕り物のときなんか、あの人がいないと士気に関わる。けどほんとはあんた嫌なんでしょう、あの人に、人を殺めさせるのが」
 土方は黙りこんだ。話の真意の見えないことに当惑がある。部屋にこもる血の臭いが、沖田の平衡感覚を狂わせている、そんな気がした。
「あの人が、人斬りに慣れちまうのが嫌なんでしょう。あくまでこれは仕事、そう割り切っててほしいんでしょうが、そりゃ無駄ってもんですぜィ」
 ああ口が寂しいと思ったら、終わってからまだ一本もヤニを吸ってねえ、土方は沖田の言を聞きながら、そんなことを考えた。内ポケットをさぐり、中から煙草の箱を取り出す。火をつけ、深く煙を吸い込んだ。肺に充満する独特の風味が、頭の芯をゆっくりとクールダウンさせる。自分が頭に血の昇りやすい質だと分かっているから、土方は煙草を手放せない。これがないと、辛抱が足りずにダメんなる、そう思っている。
 沖田こそ、煙草の一つも覚えるといい。そうしたら人を斬るたび、馬鹿なことを考えずに済む。素直に頭を空にすりゃあいいのに。土方の願い虚しく、沖田はこともなげに言う。
「俺ァ煙草は嫌いなんでさ」
 土方の燻らす煙を目で追いながら、沖田は言葉を止めない。
「残念ながら、俺ァ仕事と割り切れないんでね。俺は人斬るのが好きで、あの人は人斬るのが嫌いだ。どっちも同じことでさァ、割り切れずにコッチ側に転べば、あの人はきっと、肉を断つ味に夢中になりますぜ。気持ちなんてもんは関係ねえ、体が味をしめて勝手に動きやがる。あの人の身についてる流儀は、そういうもんだ。それは俺が一番よく知ってまさァ」
 ゆらゆらと赤が揺れる。煙草の火なのか、沖田の瞳なのか、そこにあるものをしっかり捉えようと、土方は目を据える。そこでようやく土方は気づいた。
 ああ、なんだ。
「テメェも不安だったんじゃねえか」
 今度は沖田が黙り込む番だった。
「近藤さんが変わっちまうことを一番恐れてるのは、総悟、お前の方だろうが。悪いが俺は違うぜ。あの人を前線に出させないのは、大将の首穫られるわけにゃいかねえからだ。だいたいあの人は、そこまで深いこと考えちゃいないさ。大義を守るため人を斬ってる、それこそ無意識に割り切ってな。あの人ァその辺、誰より要領がいい」
 そこで土方は沖田に目をやった。俯いた沖田の表情は髪に隠れてよく見えない。
「……あの人が以前言ったことを、覚えてますかィ」
 沖田が顔を上げた。そこにあった目は、土方の想像の範疇を超えていた。何かを必死で耐えている、野に生きる獣のような目だった。
「まだ真選組が結成して間もない頃、もし俺と江戸の町、量りにかけるような事態が起きたら、迷わず俺を斬り捨てろって、近藤さんはそう言いやした。あんたはそれを鼻で笑ってた。そんなわけにいくかって。きっとあんたには、できやしねェでしょう。でも俺にはできます。何の迷いもなく、あの人を斬っちまえるでしょう。あの人の大義を守るって理屈で、俺はきっと嘆きながら、でも心底喜んで、あの人の身にこの鋼の塊、埋めるんでさァ」
 無意識なのか、沖田の右手は刀の柄を探している。話しながら、吸い寄せられるように手がそこへ向かったのを、土方は見た。

 障子越しに陰が落ちた。月が群雲に隠れたのだ。室内の灯はすでに弱い。雰囲気を重視してか、この料亭は蛍光灯など使わず、いまだ行灯の火で明かりをとっている。
 にわかに薄暗くなった部屋で、土方は聞こえよがしに嘆息した。沖田のぴくりと肩を揺らす気配があった。強い視線を感じる。視線を流すと、沖田が挑むような目つきで、土方を睨んでいた。これ以上与太話に付きあってられるか、土方は再び息を吐く。
「総悟、帰るぞ」
 言って、沖田の顔も見ずに背を向けた。血飛沫を浴びた襖を開け、ぎしぎしと鳴る回廊を玄関まで引き返す。背後から絶え間なく伝わってくる殺気だった気配から、ひとまず沖田がついて来ていることだけは確認できる。
 門をくぐり外に出ると、付近は誰もおらず静かだ。他の連中はすでに屯所へと引き返した後のようだった。砂利を踏みしめる音が、やけに耳に響く。二人分の靴音が数歩分鳴り渡り、続いて少し離れた位置から、絞り出すような声が聞こえてきた。
「土方、テメェ」
 土方は振り向いた。振り向き、声を大きく吐き出した。
「安心しろ、テメェにも無理だ。あの人を斬るなんざ」
 見開かれた沖田の目に宿る視線は鋭い。口にしかけた反論に、土方は言葉を被せる。
「ったく、だからテメェはガキなんだ。ありもしねぇこと頭ん中で膨らまして、あげく極論なんぞ高説ぶりやがって。んなこたぁな、起こってから考えろ。いや、考えるまでもねェだろ、体が勝手に動くんならな。だいたい幾ら考えようが、結局俺たちの存在意義は一つだけだ。あの人の言うところの大義、そっから逸脱するこたァできねェ」
 沖田はまだ何か言いたげに、眉根を寄せている。しかし土方とて、途中で話を止めるつもりはなかった。
「なら、あの人も、あの人の大義も、両方守るまでさ」
 そう、最後まで言い切った。

 川沿いの通りに出ると、周りは少しだけ賑やかさを取り戻し始めた。川面に街灯の明かりが映るのが、時折風で揺らめいている。しだれ柳の葉擦れの音が、喧噪の隙間をぬって耳に届く。いつの間にか沖田は、横に肩を並べていた。かつかつと、革靴の底が鳴り重なる。
「いくらお前でも、惚れた相手斬るのは無理だろうよ」
 土方はからかい混じりに、隣に声を掛けた。うっせぇ、とぶっきらぼうに返事がくる。
「惚れたなんて簡単な言葉で、俺の肚語らんでくだせェ」
 やっぱりこいつはガキだな、土方は心中ひとりごちた。
 言葉なんてどうだっていい。その昔故郷に置いてきた、甘く気恥ずかしい感情も、今近藤のそばに据え置いた、全てを捨ててでもそれを守りたい感情も、自分さえ本質を分かっていれば、他人にどう思われようが構わない。
 だいいち、まず剣で頭を使っているようじゃ、まだまだだ。それこそ近藤さんに敵うわけがない。あの人は理屈で剣を振るっているわけじゃない。まして自らの剣に呑まれることなど、誓ってありえない。その考えを、土方は結局口にしなかった。
 たしかに近藤の流儀は実戦のための剣だが、だからこそ、本当の意味を知っている。
 あれは人を斬る剣ではない、守るための剣だ。
 その証拠に、沖田は今日、誰一人として命を奪っていない。彼こそ実のところ、誰より分かっているはずなのだ。ただ端から気づいていないのか、気づきたくないのか、そういうところが、ますますガキ臭い。
「テメェはあれだな、刀を持つとろくなこた考えねェから、今度から支給品のバズーカでも提げて歩け」
 沖田はすぐさま顔をしかめた。
「嫌でィ、あんなでけェ図体の武器なんざ、格好悪ィ」
「どうせこれから、刀だけじゃやってけねえよ。今ん内に慣れとけ」
「そんじゃいっぺん土方さんで試し撃ちさせてくだせェ。ちゃんと使えるもんかどうか、確認しとかねぇと」
「総悟ー、死んでいいぞ」
 睨めつけたその先の表情は、すっかりいつも通りの沖田であった。はぁ、とひとつ、土方は憂いのこもった息を吐く。
 馬鹿馬鹿しい、だからガキの相手は嫌なんだ。






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