終の住処


 窓に流れる景色を、近藤はひたすら眺めていた。鮮やかな緑が延々と続く田園風景は、その昔見慣れていたはずのものだった。しかし今では新鮮にすら思えるほど、久しく目にしていなかった風景だ。時折、間違えて色を落としてしまった水彩絵の具の染みのように、はなやかな色あいの花が緑の合間に現れる。朱色、橙、山吹、薄紅、小紋はめくるめき、近藤の目を楽しませた。
 ふと、懐に仕舞っていたあめ玉の存在を思い出した。がさりと音を立てて取り出したら、途端目の前から、ずいと手が伸びてくる。苦笑いして、真っ赤なのを一つ、手のひらにのせてやった。近藤は黄色いのを選んで、口に含んだ。ただただ甘ったるくて、何の味だか分かりはしないが、体が糖分を求めていたのか、妙にほっとする。
 向かい側に座る沖田はさっきまでつけていたアイマスクを外し、車窓を覗き込んでいた。眠そうな目だ。からり。つまらなさそうに口のなかであめを転がして、言った。
「田舎だなァ」
 沖田の言葉に、近藤は思わず笑ってしまう。
「ほんの何年か前まで、同じようなところに住んでたじゃん」
 そのからかいを含んだ物言いに、沖田は頬を膨らませた。ぽこりと大きなあめ玉が、頬を不自然に出っ張らせている。
「一度外に出たからこそ分かるんでさァ、自分がどれだけ田舎もんだったかってことが」
 そんなものかねえ、と近藤は再び窓の外に目を移した。同じ景色の繰り返しなのに、どうして退屈しないのだろうと考え、しかし目の前でアイマスクをつけ直してすっかり眠る体勢に入っている沖田を見るにつけ、人ってのはそれぞれだなあ、などと思い直した。
「総悟、あめを口に入れたまま寝るんじゃないよ、喉詰まらせちゃうから」
「分かってまさァ、安心なせェ」
 表情を見せないまま、沖田は静かに寝息を立て始める。人を小馬鹿にしたように描かれた目が、じっとこちらを見ているのに辟易したが、気を取り直し、近藤は車窓風景に専念することにした。


 二人は生まれ故郷へと帰る旅路の途中であった。江戸から一時間、武州終着の特急列車が、繰り返す風景のなかをひた走る。
 退屈だと、早々に寝入ってしまった沖田の様子は、普段とそう変わりなく見えた。しかし彼の胸中はいつでもひた隠されていて、いくら付き合いの長い近藤でも、簡単にそれを窺い知ることはできない。こうして一緒に帰郷するのは二度目だが、その目的を思うに、沖田が決して穏やかでいられるはずがないのだ。
 今日は、沖田の姉の四十九日である。
 そのひとはミツバといって、沖田を幼い頃から知る近藤にとっても、昔なじみの大切な友人だった。沖田姉弟は、まだ近藤が武州にいた頃に開いていた道場のほど近く、小さな家に二人きり、ひっそりと暮らしていた。田舎集落の近所付き合いというのは、都会のそれよりずっと結束の固いもので、そのうえ年の近い者も少なかったから、沖田家とは助けつつ助けられつつ、長いことそうやってきた。
 仲のよい姉弟だった。ひねくれものの弟は姉のことが大好きで、姉のほうはまだ小さな弟が、可愛くてしかたがないといった様子だった。
 だから道場の皆と、江戸で武士として一旗あげようとなったときも、実は沖田を勘定に入れていなかったのだ。
 第一、彼は若すぎた。果たして肉親と別れ、明日のことなど何も分からない博打めいた人生に引き込むことが、決して沖田のためになるとは思えなかった。だから置いてゆくつもりだった。頑くなな沖田がそれを許すはずは、もちろんなかったのだが。
 必死にごねて、絶対についてゆくときかず、結局沖田は村を出た。人一倍体の弱い姉のことが心配だっただろうに、それをおくびにも出さず、江戸までの道のりを近藤たちとともに歩んできた。
 江戸に出てからはすぐ、運よく幕府に拾ってもらえたおかげで、なんとか博打にならずに済んだが、それでも最初のうちは随分後悔したものだ。やっぱり沖田をこんなところに連れてくるべきじゃなかった、粗忽者ばかりでもゆったりと時間の流れる武州の片隅で、姉と一緒に長閑に暮らしていたほうが、しあわせだったのかも知れない、と。
 さすがに今となっては、そんな風に考えることもない。しかし時折想像するのだ。もし沖田が武州に残り、ミツバと暮らしていれば、彼女はもう少し生きながらえていただろうか、沖田は真剣を握ることも、人を斬る味を知ることもなかったのだろうか。今より少し幼い表情をして、古くさい道場で竹刀を振るっていたのだろうか。
 一方で、沖田不在の真選組を想像することが、近藤にはどうしてもできなかった。沖田の振るう剣も、あの飄々とした笑顔も、土方とのやりあいも、存在していない真選組など。
 沖田のいないあの場所、そして沖田のいないあの場所で、真選組局長としてある自分。そんなもの、欠片も想像しようがなかった。


「なんで野郎は来なかったんですかィ」
 いつの間に目を覚ましていたのか、向かいの席から声がしたので、近藤は前に向き直った。アイマスクを外した沖田が、相変わらず感情の見えない顔で、窓の外に目をやっている。
「俺が行くって言っちゃったからなあ、局長副長両方不在じゃまずいだろ」
「んなの、言い訳でさァ。勤務表組んでるなァあいつなんだから、来ようと思えば無理にでも来れたはずでしょう」
「……総悟はトシに来てもらいたかったの?」
 なんだかんだ言っても、トシのこと好きなんだなァ、そう言ったら、沖田の眉が不満げにしかめられた。
「違ェます。俺ァ、あいつが結局最後まで、姉上から逃げちまったことが許せんだけでさァ。最後に見送るぐらいもできねぇほど小せェ男だとは、見損ないやした」
 これでもちったぁ見直してたんですぜ、ぼそりと零す沖田に、なんだやっぱりトシのこと好きなんじゃないかと、思ったが口にはしなかった。意地っ張りの沖田はきっと認めないだろうことが、分かっていたからだ。土方に対して「見直した」なんて言葉が出てくるようになっただけでも、驚きである。
「トシだってほんとうは、来たかったんだと思うよ」
 実のところ、今日の納骨には土方と沖田の二人で向かわせるつもりだった。そのほうがミツバだって喜ぶに違いないと考えたのだ。てっきり土方もそのつもりで、四十九日は非番にしているのだと思い込んでいたから、一週間前改めて勤務表を見直した近藤は驚いた。その日の非番は近藤と沖田で、土方はしっかりとシフトに組み込まれていた。まさか忘れているわけでもあるまい、二人ともの名前をわざわざ表から外しているのだ。おそらく土方は意図的に、そうしたのだろう。
 どうして、行くつもりがないのか、そう近藤は訊ねた。気づいたその日の真夜中、土方の部屋を訪れてのことだ。そうしたら、土方は存外おだやかな顔で、あんたが行かないと、総悟はどうしていいか分からんだろう、と言った。
「俺も総悟も、あいつを全う静かに見送れるかどうか、不安なんだ。あんたは素直に悲しんで、素直にあいつにさよならを言ってくれそうだから、あんたに行ってほしい。そのほうが、総悟にとっても、いいに決まってる」
「でも、ミツバ殿はきっとおまえに来てもらいたいと」
「近藤さん、死人に口はないぜ。生きてるもんのこれからのほうが大事だ」
 近藤は口をつぐんだ。そんな台詞を他でもない土方に言わせてしまったことを、少しだけ後悔して、それからただ一言、分かった、と口にした。
 しばらくして立ち去ろうとした近藤に向けて土方が、ああ、ちょっと、という呟きをもらした。土方はやおら文机の抽出を引っ張りだし、小さな箱を探し当てた。寄木細工の桂の小箱はきれいな幾何学模様に包まれていて、それを器用にずらして開けると、中に入っていたのは紙幣だった。それを土方は近藤に手渡す。
「これで、弔いの花をありったけ、買ってやってくれないか」
 最後まで気障な男だなァ、近藤は思いながら、知らぬ間に微笑みをたたえていたらしい。土方が釈然としない、といった顔で、何がおかしい、とぼやいた。


 記憶を紐解くように、時間を巻き戻すように、見慣れた景色が開けてゆく。ここいらはもう、二人のよく知るあたりだ。その頃列車での移動なんて贅沢の極みだったから、少しの遠出をする際に、使うのは大抵自分の足だった。そのぶん、思いでも深い。
 ちらりと向いの沖田の表情をうかがうが、そこに郷愁の念は感じられない。無感動に、変わり映えしない車窓を目で追っている。
 平日の午前中に、下り列車に乗っている人間は少なく、車中は限りなく静かだ。刻まれる一定のリズムにひたすら身を揺らし、近藤は脳裏に、今はなき田舎の芋道場を浮かべた。あの頃面倒を見てくれていた前代師範ももういない。近藤には、郷里に帰る場所がないのだ。いちおう家は人手に渡らず残ってはいるものの、そこに住むものが誰もいないのだから、すでに廃墟も同然である。沖田もたった一人の肉親が死に、きっとそうなってしまうのだろう。自分たちはもう、江戸に骨を埋めるしかない。
 故郷の土の下に埋められるミツバの遺骨は、近藤が膝にのせ、その大きな手で支えていた。江戸を発つとき、沖田に持たせようとしたら、うっかり壊してしまいそうで怖いから、近藤さん持っていてくだせェ、と押し返された。かわりに土方の金で買った大きな花束を持たせたら、やけに絵になるのが余計に面白くなかった。ひどい弟だなァ、そう洩らすと、姉上の味方は近藤さんだけだったからねィ、と意味深げに言ったのだった。それをふと、思い出した。
「なぁ総悟、さっきのさ、俺だけがミツバ殿の味方って、どういう意味だったんだ?」
 窓の外に向けていた視線を正面に戻すと、沖田は大きな目を不思議そうに何度もしばたかせた。そうしていっとき経ってから、何か思い当たったように、ああ、と呟いた。
「いや、別に深い意味はないんでさァ。俺も野郎も、姉上を置いて出てきちまったからねィ、姉上にとっちゃあ、どっちも裏切りもんでしょう。でもあんたはきっと違っただろうな、あんただったらきっと姉上の願いを叶えてただろうって、思っただけです」
 沖田の言葉に、近藤はうすく笑みを浮かべた。
「……そりゃあ、ねェな。裏切り者って言っちゃあ、俺が一番の裏切り者だもの。ミツバ殿の大事なものを、いっぺんに二つも奪って持ってっちまったんだから」
 もし自分が、武州を出て江戸に向かおう、なんて考えなければ、二人はきっとミツバのそばを離れなかったのだろう。
「俺ァ、あんたに持ってかれた覚えはありませんぜ。自ら決めたことだ」
 そうは言っても、元々のきっかけを作ったのはまぎれもなく近藤だ。だからこそ申し訳ない気持ちが大きい。後悔などしていないが、恨まれてもしかたのないことだと思っていた。ミツバがそれを恨むことなど、あり得なかったが。文句の一つも言わず、笑顔で送り出してくれたミツバに、今さら謝ることも、礼を言うこともできない。
 死人に口はない。肉体もない。思いも残ってはいない。近藤は霊魂の類いにまで信心があるほうだが、それでもミツバがこの世に未練を残して留まっているなどと、考えやしない。せめて毎夜枕元に立って、恨みつらみを述べてくれるような人だったならよかったのに。そうしたら、謝る機会もあっただろう。
「姉上は、近藤さんを好きになったらよかったのになァ。そしたらきっと、幸せになれたんでしょうに」
「そんなことないよ」
 否定の口調が存外強く出てしまったことに、驚いたのは声を発した本人だった。言われた沖田も、目を丸くしている。どうして、とその目が問いかけてくる。近藤は答えるように、やわく微笑んだ。
「……ミツバ殿は、きっと充分幸せだったよ。お前みたいな弟がいて……トシみたいな想い人がいてさ。あの小さな家で生活をしながら、ときどき、総悟やトシのこと思い出して、元気かなぁなんて考えて。そんな、ふとしたときに優しく思い出せる場所があるのは、幸せなことだろ?」
 片手でミツバを抱きながら、もう片方の手を沖田の小さな頭に伸ばした。さらりと錦糸の髪が手のひらに触れる。何度も撫でさするのを、沖田は目を細め、黙って受け入れていた。
「なあ総悟、だからさ、そんなにトシを責めてくれるなよ。そんで、自分自身も責めるんじゃあないぞ」
「近藤さん……」
「俺のことならいくらでも、責めてくれていいけどさ」
「何を馬鹿なことを、俺ァ近藤さんに感謝こそすれ、責める謂れはねェや」
 言うと沖田は、頭にのせられた近藤の手を、自分の両手で包みこんだ。そのまま、胸のあたりにそれを降ろす。冷たい手のひらだ。近藤が身じろぐと、沖田は握りしめる力を強めた。別に逃げやしないよ、安心しな、そう言いたくなるほど、強く捕らえられている。
「あんたは、俺の望みを叶えてくれる唯一の人間ですからねィ」
「総悟?」
 その行為と発言の意図するところがよく分からなく、近藤はいぶかしげに問いかけた。顔を覗き込むと、ふいに真剣な目にぶつかる。不思議な色をたたえた目、それは明るい太陽のようであり、何か恐ろしげな深淵のようでもある。沖田はときおり、こういう顔をする。それは江戸に出てきてから顕著になった。まるで知らぬもののようで、わずかばかり不安を覚えるが、これが大人になったということなのだろうか。
 もう沖田は、近藤の昔からよく知るチビの総悟ではなく、真選組一番隊隊長、沖田総悟なのだ。成長は喜ばしいことだが、少し寂しくもある。伏せられた目から心情は窺えず、近藤はされるがまま、自分の手を沖田に預けていた。
 湿ったあたたかな感触に気づいたのは、その直後のことだ。近藤はさすがにぎょっとした。沖田が握りしめた近藤の手の甲に、口付けたのだ。ほんの数秒のことなのに、時間が止まったかのように長く感じられた。ゆったりと離れてゆくくちびるの感触は、やけになまなましかった。やわらかく、微かにかさついていた。
 俯いていた沖田は、やにわに強い視線で、焦る近藤を見据えた。それは今の今まで見ていた、掴みどころのない目ではなかったが、含まれた感情が複雑すぎて、やはり沖田の本心は分からない。分からないまま、沖田の言葉に耳を傾ける。
「俺は一生、あんたの傍にいまさァ。あんたが迷惑だって言っても、死が袂を分つまで、いや死んだって極楽浄土の果てまで、あんたに寄り添ってゆきやす。そんであんたを苛む全てのものから、あんたを守ってやりましょう。それが俺の一番の望み、近藤さんにしか叶えられねェ、望みでさァ」
 それはじわり、じわりと近藤の心のなかに浸透してきた。一つ一つの言葉の意味を噛みしめ、沖田の気持ちを覗き見る。飲み込むにつれ、だんだんと、体温が増してきた。どうしてか顔が火照る。いまだ握りしめられた手は、じわりと汗を滲ませていた。だって、今の総悟の発言は、これはまるで、
「総悟さァ、なんか、プロポーズみたいだよ、今の」
 照れ隠し半分で、おどけてそう言うが、沖田はくすりとも笑わない。もしかして真剣にくれた言葉に今のって失礼だった? それともそんな受け取り方した俺を軽蔑してる? 気持ち悪いって? 近藤の思考は、すぐに悪い想像へと向かっていた。考えていることが顔に出やすい近藤だから、不安な内面が、沖田から見れば丸分かりであることだろう。おろおろとした近藤の様子がよほどおかしかったのか、沖田はふと口元を綻ばせ、微笑んだ。
「近藤さんがそれでいいなら、そう思っててくだせェ」
 その笑顔があまりに無邪気で、まるで天使のようだったものだから、近藤は、ああ敵わんなあ、と沖田の言い分の無責任ささえ許容したくなった。
 どうせ自分は、真選組という芋侍の集まりと、すでに婚姻を交わしているようなものだ。一生添い遂げて、それで江戸の街に骨を埋めるその日まで、一緒にいてもらおうじゃないか。考えただけで頬が緩む。
 列車はもうすぐ終着駅へと向かう。思いでを掘り返していたはずの近藤の頭のなかには、いつの間にか田舎の芋道場ではなく、江戸の一角にある真選組屯所が浮かんでいた。
 そこが近藤の帰る家だった。


 なあミツバ殿、あなたの骨はあなたの故郷の土に還るが、どうか俺たちの、俺やトシや総悟の骨は、江戸に埋めさせてもらえんだろうか。最後まで、愛するひとも弟ですらも、分つような真似をしてすまねェなあ。あなたには謝っても謝りきれねェ。でも俺たちの家は、大事な世界は、あそこにあるんだ。
 だからどうか、許してもらいたい。



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