「あーっ、君、ミカポンのお友だちじゃん」
 池袋サンシャイン60通り、駐車場の前を通りがかったところで声をかけてきた女のことを、青葉は咄嗟に記憶からひっぱり出した。三秒で思い出したのは、入学直後、新しく出来た先輩にお願いした池袋案内。そのときに起こった壮大な追いかけっこの際に一緒にいた、黒ずくめの女性だった。
「あ、どうもお久しぶりです」
 青葉が愛想よくおじぎをすると、女はにこやかに手を振りかえしてきた。いかにも池袋にいそうな、一見して普通の女性であるが、彼女は元々ブルースクウェアのメンバーであることを、青葉は知っていた。同じく元メンバーの門田京平たちといまだ行動をともにしているそうだから、まともそうに見えても案外、ネジの外れた人種なのかもしれない。同じく彼らと一緒にいる、あのあぶなっかしい細目の男みたいに。青葉は少しだけ警戒心を強めた。安全、注意報、警報。人を見るたび彼の中には点滅するランプがある。それは大概正解を伴っていて、しかしときどき誤報をおかす。たとえば、彼の今のリーダーについて。あれは青葉にとって完全なる判断ミスだった。後悔など微塵もしていないが。
(人畜無害そうに見えても、こいつはダラーズだ)
 一筋縄ではいかないダラーズの中でも、特に創始者である竜ヶ峰帝人の近くにいる面々は、揃いも揃っておかしな連中ばかりだ。門田の一味にしたってそうだし、何よりあの、存在自体忌々しい男——折原臨也も。帝人本人が折原臨也の本性についてわずかも疑いを持っていないことが、青葉にとって都合がいいのか、もしくは悪いのか、いまだ判断はついていない。だから現状維持。もしものときは自分がうまく立ち回ればいいのだ。
 とりあえず注意の値踏みをした目の前の女に、再度一礼をして立ち去るつもりだったのだが、女は青葉をじっと見つめたまま動こうとしない。真剣な眼差しが、睨みつけるように青葉の頭から爪先までなぞるように動く。
 俺のことを知っている? いやまさか。青葉がブルースクウェアを作ったという事実を知るのは、それこそ一握りの、青葉の周囲にいる限られた仲間のみだ。ありえないことだと思い直し、青葉は不躾な視線を寄越す女に怪訝な目を向けた。
「あの、何か」
「いや、君さ……あ、ねえちょっと待って、ここにいてくれる?」
 言って女はおもむろに携帯を取り出し、どこかに電話をかけ始めた。
「あ、カオル? あの言ってたあれ、見つけたよ!  ……そう、うん、知り合い……絶対いけるよーまちがいないって! ……え? うん……オッケー了解!」
 断片的に聞こえてくる会話がどうにも不穏で、青葉の警戒は注意から完全に警報に変わった。ここはさっさと逃げ出した方が賢明だと、青葉はそそくさと踵を返したが、思いの外強い力が、青葉の手首を捕えて離さなかった。
「だめー。逃がさないよ」
 にっこり笑った女は、おもちゃを見つけた子どもみたいに無邪気そうに見えて、その実打算的で、そしてやはり人畜無害そうで——青葉にとってはこのうえなく不気味だった。



 どんな目にあわされるのか戦々恐々としながらも、青葉は表面上、落ち着き払った様子を取り繕っていた。今にも逃げ出しそうだった青葉の手を、狩沢と名乗った女は一向に離そうとしない。肝心の青葉の気はすっかり殺がれて、無理にでも引きはがそうなんて気は起きなくなっていたのだが。そのまま誘導されるように池袋の喧噪を離れ、住宅街の中を迷いなく歩く。
「あの、僕どこに連れていかれるんでしょうかね」
「私の家ー」
「……これって拉致じゃないですかね?」
「うーん、じゃあ、合意を取ればいいのよね。ちょっと付き合って?」
「いやです」
「それは困るなあ」
 手首を掴む力がわずかに強まり、痛いと感じるほどになった。元より解放する気などさらさらないのだ。青葉はため息をついた。
「……まあいいけど……いっこだけ。これから待ってるのは、俺に危害を加えるような状況ですか?」
 少し前を歩いていた狩沢は目を丸くして振り返り、直後、にやりと眦を細めた。
「ううん、むしろちょっとハッピーなこと、かな?」
 青葉は言葉の裏を読もうとして、すぐさま諦めた。狩沢からはまったく悪意を感じられなかった。今にも鼻歌を歌い出しそうな狩沢に、青葉はいよいよ諦めを顕にした。



 到着したのは、本当に普通のマンションだった。たしかに、狩沢の言葉に嘘はなかったのだ。
 玄関から続く廊下、いくつか並んだ部屋のひとつをノックすると、中からくぐもった声が聞こえた。おそらく先程の電話相手だ。家族だろうか? 諦めたとはいえ、警戒を解くつもりはなかった。
 しかし姿を現したその相手には、拍子抜けせざるを得なかった。
 青葉の目の前に立ったのは、セーラー服をまとった美少女だった。妹だろうかと思ったが、その面影がかろうじて狩沢の血縁であると窺える程度で、あまり彼女と似ているとはいえない。制服にはそぐわないくらいの、隙のない化粧のせいかもしれないが。
「じゃーん、黒沼青葉君でーす。いいでしょいいでしょ、この身長、華奢っぷり、どんな格好しても違和感なさそうな化粧映えしそうな顔! あの動画やるにはぴったりだと思わない?」
「あの……?」
 あでやかな笑みを浮かべる美少女は何も言わず、だがおそらく同調の頷きを見せる。
「あのー? なんの話でしょう」
 嫌な予感ばかりが先立ち、青葉は思わず声をあげた。あげながら、じりじりと後ろに下がり始める。やっぱり来るんじゃなかった。無理にでも振り切って逃げておけばよかった。どれだけ後悔してもしょうがない。やはり青葉の手は狩沢によってがっちりとホールドされたままだし、単純に二対一になってしまった今、無事ここから逃げおおせる自信もなかった。
「じゃあちょいと始めますか。ね、青葉くーん、まずはこれ、着てみようか」
 狩沢から差し出された、彼女の身に纏うのと同じクラシックなセーラー服は、青葉に絶望を与えるのに充分だった。彼女の楽しげな笑顔はさっきの狩沢そっくりで、ああやっぱり姉妹なんだこいつら、と青葉は思考停止した頭の片隅で思った。
 本当のことを知るには、まだ時間が足りなかったのだった。



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