「こんな所で、さぼってやがったのか」
落ち葉を踏む音がしたと思えば、間髪いれず声は響いた。講堂のうらの薄暗がり、退屈そうだった横顔をいくらか綻ばせ、古泉少年は顔をあげる。
「や、見つかってしまいましたか」
目を細めると、返ってきたのは溜息だ。まったく、と呆れたような呟きがそれに続く。友人は脱いだマントを左手の指に引っ掛ける格好で、壁にもたれかかっていた。模範生の名にふさわしく、制服にあるボタンというボタンを留めた古泉よりも、むしろ友人のそれの方がサボタージュに似合いの格好である。古泉は喉の辺りをくすぐる笑いを噛み殺す。講堂の中では相変わらず秋の音楽会に向けての練習が続いており、教師の指示の声や、生徒のおしゃべりなどが漏れ聞こえてきていた。
「感心するぜ。お前は宇宙人か? 未来人か? 超能力者か? 気付いたら、姿がないんだもんな。教師も普段お前のことを蝶よ花よ模範生よと慈しんでいるわりに、肝心な時に目を離していやがる。あいつらの目は節穴か? 生徒の監督は教師の仕事だろうが、まったくよりにもよってなんで俺が……」
ぶつぶつと友人が続ける間にも、古泉はしぜん笑みが浮かんでくるのを堪えなければならなかった。爪先で落ち葉を蹴る。一足先に声変わりを済ませてしまった友人の声は、最初こそ戸惑ったものの、今はもうすっかり耳に心地よい。そして、少し羨ましくもある。
閉じた瞼に秋の風が涼しい。やがてポプラの葉擦れとともに、ピアノの伴奏が聞こえてきた。
「なあ、何がそんなに気に入らねえんだ」
友人の声は、拗ねた子供に対するかのようだった。足元は自分が遊んだ落ち葉が見るも無残な姿で、ぐちゃぐちゃになっている。が、風が地面に吹き下ろすと、それも一掃される。
「あっ」
声変わり以前のような声を、ふいに友人があげた。傍らにあったはずの古泉の楽譜が一枚、二枚と風に飛ばされつつある。古泉はハッとして、三枚目を押さえた。飛んでいこうとした一枚目と二枚目を捕まえたのは、友人だった。友は捕まえた楽譜をしげしげと見た後、古泉を見て言った。
「お前、ソプラノだったのか」
その声は澄んだアルトだ。気付けば、すぐそばに友の顔があった。こちらを覗き込むようにして、にやにやと笑っている。その短い前髪が、そよそよと風に揺れていた。かあっと何か熱いものが背骨を駆け抜けていくのを古泉は感じた。ちょうど目の前にぶら下がっていたネクタイを掴むと、「う」と小さな喉仏が上下する。掠め盗るようなそれはくちづけというより、子供らしい、ささやかないたずらと言った方が近かった。
「……お前は、都合が悪くなると、いつもこれだ……」
口元を袖で拭いながら、友人は唸った。誰彼構わずこんなことやってんじゃねえだろうな、と呟く。あなただけだ、という古泉のごく小さな声は、風の音にかき消された。今はまだ届かなくていい、と古泉少年は思う。せめてもう少し自分の声が低くなるまでは。
あほ、聞こえてる、と友が言った。