あの声だ。
カセットテープから流れてくるのは、擦り切れて音質の悪くなった歌。曲名は知らない。離れから風に乗って届いたのか、祖母が微笑みながら「なつかしいうたやねえ」と言っていたことからして相当古い、一昔前のものなのだろう。
その凜とした歌声はお世辞にも上手いとは言えないが、悪夢さえも吹き飛ばすような不思議な力を持っている気がしていた。ひとり蹲っている自分を励ますようであり、叱咤するようでもある。
文机にしなだれ、顔を伏せていると歌声の主が瞼の裏にぼんやりと浮かんだ。蛍火のようにちらちらと灯る残像はかつて同室を共にした男だった。
琥珀色の切れ長の目に鼻筋の通った鼻梁、厚みの薄い唇。
その涼やかな容貌にすらりと伸びた手足から、同学年は勿論のこと上級生からも秋波を送られていた哀れな男だ。
美少女ならまだしも、相手が男子校の野郎共では嫉妬もへったくりもない。
立ち姿はまるで匂い立つような芹の花だと囃立てられ、芹の君とも呼ばれていたこと自体、同情を禁じ得ないが、その同室者とは地球が爆発する寸前になっても仲良くはなれないと出会った当初から直感していた。
悪い奴ではないし、心の底から嫌っている訳でもない。ただ、前世では清少納言と紫式部の女官なり、源氏と平家、尾張の織田と甲斐の武田の武将であったに違いない。周りは気付いていないようだったが、反りが合わないことは両者の間で明白だった。
共有スペースは音楽室に捨て置かれていた暗幕で仕切り、顔を合わせるのは教室がほとんどだったし、同室者のよしみで本や物の貸し借りを行なう同級生を尻目に、一切情交を深めることもなかった。
思えば、男の好きなものひとつも知らない。
ただ暗幕で仕切られた向こう側から小さく漏れ聞こえてくるラジオの音しか記憶にないのだ。
優等生面した元同室者。部屋の中では口数の少ない、皮肉屋。
どこから得たのかは知らないが、時折煙草を吸っていたことは、微かに残るあの目に染み入るような匂いでわかった。
胸元には高価な万年筆、ブックバンドで束ねた分厚い洋書や論文を片手に校内を歩く姿は、生活空間を共にしている男と同一人物とは思えないほど涼しげで爽やかな好青年だったことも苛立つ要因だったのかもしれない。
今となっては、そんな考察も不毛だ。
背を丸めたままもぞもぞと身動ぎ、手拭いで何重にも巻いた懐炉を胸元に抱いた。秋も深まり、中腹部にある山荘には冬の訪れを予感させるように厳しい風が吹き込み始めていた。
ごうごうと風の音。それに当てられた扉はぎいぎいと軋んでいる。
昼間見上げた曇天にはバケツに灰色の絵の具をぶち撒けたような雲が浮かんでおり、雨粒の匂いが鼻を掠めた。
夜になって荒々しい風が吹き荒び始め、大きな嵐が来ることはより明白になった。
先程から強い風が離れに吹く度、入り込んだ隙間風の所為で手元を照らす蝋燭は消えかかり、真上にある豆電球がちかちかと瞬いた。
嵐か、と呟くと共に歌が終わる。四分半のそれは気付けばすぐに終わってしまう。しかしいつものようにカセットテープを巻き戻そうとボタンを押そうとした瞬間、突風で煽られて倒れた地球儀がごとりと床に転がり、その派手な音に意識を奪われた手は伸ばされたまま停止していた。
気が削がれてしまえばそれまでだ。停止ボタンを押すのさえ億劫になり、放り出された手は毛布の中に突っ込んだ。
不安定な淡い明かりは、文机の上に投げ出された参考書を照らす。ぼんやりとした視線でそれを見つめながら、何をしているんだろうと不意におもった。
高校を自主退学したのは、丁度一年前。卒業を控えた初秋のことだった。
祖父が前触れもなく倒れた。学費も仕送りもその老いた背に担ってくれていた祖父だ。一命を取り留めたのはいいが、生活するにも車椅子を余儀無くされた彼を支える手立ては、まだ年若いキョンにはひとつしか浮かばなかった。
祖父母が経営している山荘を手伝うため、高校は辞めた。
その手続きを済せた後だ。
荷物を整理する時も級友に別れを告げる際にも姿を見せなかった男は落ち葉がひらりひらりと降る中、ふらりと目の前に現われた。
校門まで続く細い並木道は赤く色付き、琥珀色の髪を持つ男は今にも風景に溶け込んでしまいそうだったことを今でも覚えている。
よお、とキョンは片手を上げたが、男は結局何も言わず、カバーに罅の入った一本のカセットテープを差し出した。そして訳も分からず受け取ったこちらに向け、一度だけ微かな、優等生然とした微笑みを口元に浮かべたのだ。
「お元気で」も「さようなら」もない。はじめましてのない始まりをしたふたりなのだから、今更形式張った挨拶など不要だったのかもしれないが。
男は卒業した今、どんな生活を送っているのだろう。
考えたこともなかったし、そもそも成績優秀だった男の輝かしい未来など考えたくもなかったのかもしれない。
現状に不満がある訳ではないが、早朝、馬や牛の世話から始まる生活は夜分遅くまで続く。それでも、深夜くたくたになった身体を引き擦ってまで机に齧付いて勉学を続けている自分の心は未だ高校にあった。未練がましく、惨めなことをしているのは分かっている。だが、気付けば参考書をめくり、新しい知識を吸収しようと頭は躍起になった。
ごうごうと森を揺らす轟音に、はっとして瞼を上げる。今の衝撃で電柱が倒れたらしい。辺りはいつの間にか暗闇に包まれていた。
頼りの蝋燭も既に火は絶え、蝋が雪崩れ落ちている。
暗闇に慣れるために瞼を数度瞬かせると、ひとつの記憶が脳裏を過ぎった。
あれも、嵐の夜だった。
当時度胸試しが流行っており、諍いを解決する方法としてもそれは有効であった。口論だけではすっきりしない、しかし喧嘩ではお互い退学になり兼ねない。そこで生まれたのが、多種多様なチキンレースである。
キョンも一度だけ勝負を挑まれたのだが、内容と言えば古くから伝わる伝統的なものだった。そう、夏の風物詩と呼ばれる肝試しである。
ルールは簡単だ。校舎の裏手にある山の中腹部には開かずの百葉箱なるもの(開かずとは単なる渾名であり、くたびれた錠前は引っ張るだけで簡単に開いた)が鎮座されており、それをこじ開け、中身を持って帰って来た者が勝者。
しかしただ行って帰ってことなら誰にだって出来る。挑戦者は百葉箱を起点に丁度半分になるように山の端に分かれてスタートするのだが、その山道には敵陣が潜み、相手を驚かせて遁走させるためにありとあらゆる工作を仕掛けてくるのだ。難関をくぐり抜け、百葉箱の中にある御札を手にして先に宿舎の門まで戻ってきた者が真の勝者となる。
ルールの中には挑戦者と共に一人だけ介添人として同行を頼んでも構わなかったが、キョンはたったひとりで挑むつもりだった。身内に国木田というブレーンがいるし、谷口という策士家が最も使い易い駒もある。勝とうという意気込みはなかったが、負けるつもりも毛頭なかった。
だが、スタート間際になって、嵐と共に現われた男がいた。こんなくだらない勝負を挑まれる発端となった男だ。
強風を諸ともしない柳のように立つ男にキョンはこう問い掛けた。
「何のつもりだ」
男は何も言わない。けれど出発の刻限を迎え、歩き出すキョンの後ろをカルガモの親子のようにつかず離れずの距離で追いかけて来る。
あほらしい。
キョンに果たし状を投げ付けて来たのは、男を慕う下級生だ。本当の理由を聞いた訳ではない。だが、喧嘩を吹っ掛けられた理由など男と同室であること意外考えられなかった。それほどまでにその下級生は男に対して信仰心に似た憧憬を抱いていることで有名だった。
ごうごうと風が吹き付ける中、頬にぽたりと水滴を感じた瞬間、大粒の雨が降り始めた。バケツをひっくり返したような雨は足場を悪くさせ、気力を削いだ。
勝負は中止になったのかもしれないとキョンは気付いた。三十分近く歩いているが、敵方の姿はない。
豪雨で視界は最悪だし、全身は絞れるほどびしょ濡れだ。
帰ってしまおうか。
そもそもどうしてこんな不当な勝負を受けなくてはならないのか。さっさと帰って、湯船に浸かるが吉だ。
そうは思うものの、足は止まろうとしない。引き返そうともしない。
あほめ、どあほうめ。
己に唾を吐き掛け、キョンはぬかるんだ山道を登り続けた。しかし、もうすぐそこに百葉箱まで迫ったとき、不意に後ろを付いて来ていた男が声を上げた。
「もう、」
目に入り込んだ雨粒の所為で明瞭には見えないが、振り返った先にいた男の表情はそのときの空よりも曇って見えた。
「もう、帰りましょう」
ここまで来て何を言っているのかと思った。
「こんなこと、あなたの得にはならない」
濡れ鼠になったその目は長い前髪の隙間から辛うじて見える。
「おまえが」
「既に帰っているでしょうが、相手にはぼくから事情を説明しておきます。ですから、これ以上雨が酷くならない内に」
「おまえが、決めるな。損か得かなんて、自分のことだ、おれが一番よく知ってる。損得抜きで勝負を受けたのはおまえじゃあない、おれ自身だろ」
叫ぶ程に声を張り上げなければ声は届かない。言葉の応戦から先に目を逸らせたのは男の方だった。
「どうしても、」
「行くよ、ここまで来て帰る方が馬鹿らしいだろ。これはおれの意地だ、だからそんな、自虐心に満ちた顔なんかすんな」
前髪の隙間から覗く目はいつもの自信の欠片もなく、弱りきった鳥のように頼りなかった。
あなたは、と男は言う。
「あなたは、つよい。強いひとですね」
揶揄ではない、身から出る言葉だった。
一瞬だけ目を瞑った男と視線がぶつかる。それから逃げるようにして身を翻し、再び進み始めたキョンは追いかけてくる確かな足取りの音からも聞こえない振りをした。
古泉一樹という名はまるで人のものではないように扱われていた。同級生も下級生も、上級生だって、顔立ちや性格、成績から男を花なんぞに例えて遠巻きから眺めていたに過ぎない。
そんな思考は、激しさを増した風雨が簡単に奪い去った。それでも懸命に急斜面を登り切った果て、ようやく百葉箱の隅が見えた。
そのとき、安堵が張り詰めていた糸を切ったのかもしれない。山道を勢い良く流れ続ける雨水にずるりと足を取られ、視線は自ずと真上へと上がった。分厚い雲が夜空を覆い、あんぐりと開けられた口内に入ってきそうなほど大きな雨粒が明瞭に見える。
落ちる、とおもった。が、その振り上げられた腕を冷え切った手が強く掴み上げた。その手の持ち主は言うまでもない。しかし自分の身に何が起きたのか瞬時に判断できなかったキョンは男の肩口に額を寄せ、息を吐いた。
男が引き上げてくれなかったら、今頃びしょ濡れの上に泥塗れになっているところだ。ようやく落ち着いてきた心臓を感じ、キョンは礼を述べるために顔を上げた。
自分よりも数センチ上にある琥珀色の目がこちらへと注がれている。暗がりでもわかる。慈しみに似た、穏やかな目だ。
思わず相手の胸を突き押して、離れる。
困ったように首を小さく傾げる男は、本当に同室者だろうか。男はこんなにも、胸を掴むような顔をしていただろうか。
「目的地はすぐそこだ、だからと言って、気を抜かれては困ります」
前言撤回。この皮肉ぶりはどう考えても古泉一樹でしかない。ほっとするようで、少し空しい気持ちも浮かぶ。
礼を述べることも忘れ、そっぽを向いて再び歩き出したキョンは今度こそ転んだりしないように一歩一歩を強く踏み出してぬかるんだ山道に足をついた。
その豪快に振り上げる手を、男が急に掴んだ。そして何も言わぬままキョンを抜かして少し先を歩いてゆく。
目を瞠るキョンなどおかまいなしに進んでいく男の歩調に合わせるため、こけつまろびつ付いていくのは何だか気恥ずかしいものがあったし、何度も「おい!」「離せ」等と呼び掛けたが、男が振り返ったのはただ一度、百葉箱に入っていた温度計、湿度計、気圧計の間に横たわる二羽の鳩の置物を見つけたときだった。箱の隙間から染み出した雨粒がそれらを濡らし、大樹も揺らす暴風が転ばせたらしい。一羽はきっと下級生用だったのだと思うが、ここで置き去りにするのも忍びない。手の平大のその一羽ずつを持ち、ふたりは山を下りながら寮を目指した。
最初は暴れていたキョンも、抵抗するのも億劫になり手は繋がれたままだった。
結局、ふたりが寮の門扉に辿りついたときには既に夜は明けていた。そしてびしょ濡れになったふたりを取り囲むようにして学友や教師陣が押し寄せ、ふたりをもみくちゃにする。嵐に巻き込まれ、山で遭難していると先に戻った友人等が寮長に、そして寮監から教師に話が伝わったらしい。凍え切った体を包む毛布に頬を寄せると、訳も分からず網膜に薄っすらと水分が張った。
泣きたい訳ではなかった、ただ安堵したのかもしれない。目の端を飛ぶ枝木、足の甲を浸す程の高さで流れ続ける雨水。心細い中、頼りはこちらと相手を繋ぐ冷たい手のひらだけだった。
わあわあとみんなが好き好きに喚き立てる中、毛布の隙間から古泉を覗き見る。既に離れた手で前髪を上げた男は、山で見せた表情とは違う、けれど見慣れた、人を突き放したような気丈な横顔していた。
その一件以来、ふたりの仲が急速に近づいたかと言えばそうではない。むしろ、より会話を交わさなくなった。キョンは何か言いたい言葉が喉にずっと痞えているような状態で、洗面所で顔を合わせる度話し掛けようと試みたが、それを相手が許さなかった。
数年経った今でも、古泉一樹という男がわからない。
ごうごうとかつて体験した嵐が再び足元まで迫っている。みしみしと離れが揺れる度、瞼の裏には男の顔がちらついた。
男の声は、こちらをすべて攫うようだった。
無声になったカセットテープは未だじいじいと再生を続けている。嵐が近づいている今、もう一度あの歌声を聴くのは躊躇われた。仲の良かった学友よりも、皮肉屋の同室者を思い出す機会が多いなんておかしい。
暗闇に慣れた目が、棚の上の置物を探す。妙な癖だ。だが、その少し薄汚れた鳩の羽の幹線を眺めている内に、胸に灯る感情があった。
強い郷愁、それだけだ。
寮に再び足を踏み入れたとしても、こんな気持ちにはならない気がした。途中で置き去りにしてしまった全てが、古泉一樹という人間に詰まっているなんてそんな馬鹿げたことを思いたくは無かったが、短い高校時代の記憶をなぞった先にはいつも彼がいた。
時期外れの転校生。顔立ちの良い、皮肉屋。
その顔がはっきりと思い出された瞬間、こん、という音が窓硝子からした。風や雨が叩く自然な音ではない。
手元を探り、火をつけた有明行灯を手に立ち上がる。そして窓辺へとゆっくりと近づいた。こんな嵐の夜に、祖母がひとりでやって来るとは考えづらい。外は暴風雨が吹き荒れている。山荘の利用客とも到底思えない。
行灯を磨り硝子に傾けると、そこには薄っすらと人影が浮かんだ。肝試しの再来かと思うほど、身を竦めたキョンは、内心びくびくしながら「どちら様ですか」と問うた。もし「あっし、唯のしがない盗人ですんでお構いなく」と返されたらどうしたもんかと身構えていたが、暫く経っても返答はなかった。
行灯を竹刀に変えるべきかと考えつつ、恐る恐る窓枠に手をかけた途端、今までじいじいと無音を再生し続けていたラジオカセットがぷつりと途切れたかと思うと唐突に声が流れ始めた。
ゆっくりと振り返る先、行灯の明かりは古びたラジオカセットを仄かに映した。
「あなたは気付かないかもしれない」
言葉の通り、いつも歌が終わると巻き戻していたため、気付きもしなかった。
「気付くも何も、ぼくから手渡されたものなど、すぐに捨てている可能性の方が高いでしょうね。もしかしたら下手な歌に気分を害されて、恨まれているかもしれないな。それでも、あなたに知ってほしかった。口ずさめば、いつもあなたの顔を思い出せた歌だ」
行灯を磨り硝子へと再び戻した。自分より少し高い背丈のシルエット。がたついた窓枠を、音を立てながら開けてゆく。その先には、ひとりの男が立っていた。
ぐっしょりと濡れそぼった鳥打帽と腿丈の外套は、手から吊り下げられたランタンの灯りで漆黒に輝いている。前髪は記憶しているよりも短く、頬は以前よりもシャープで大人びて見えた。
無言で佇む男とは対照的に、カセットテープから流れて来る声はこう続けていた。
「転校して間もない頃です。覚えていますか。ご学友に時期外れの転校生を見たかと問われたとき、あなたは顔を顰め、うんうん唸った後、こう仰った。知らねえって、ひとこと。その後だ。他愛も無い会話を続けていたあなたは、さっきまでの顰めっ面が嘘のように、顔をくしゃくしゃにしてわらったんです。周りは性格も何も知らないぼくを簡単に受け入れ、騒ぎ立てた。最初は、その枠から外れたあなたを、物珍しさから目で追っていたのかもしれない。けれど、あなたがこの部屋から、寮から、高校から消えてしまう今となって、ようやく気付きました。きっと、ひとめぼれだった」
ごうごうと吹く風、横殴りの雨。それらに震えることなく、揺らぐことなく立つ男の顔に行灯を向ける。
「二年になり、同室になれたこと、それでもうまくあなたに話せなかったこと、口を開けば憎まれ口ばかり叩いてしまったことだって、ぼくにとってはしあわせな日々でした。それは三年まで続くと勝手に思っていた。卒業間際になってもいいから、いつかあなたに伝えたいことだってあった。あなたが、いなくなってしまうのは、さびしい、かなしいし、つらい。言葉にすれば陳腐でも、これが正直な気持ちです。あなたは同学生の中でも、とりわけ大人だった。だから誰よりも早く出て行ってしまうのでしょう。けれど、もしも、いつか、」
四分半の歌を、四分半の言葉をカセットテープに吹き込むとき、男はどんな顔をしていたのだろう。
今みたいに、薄暗闇の中でも分かるくらいに、真っ赤な顔をしていたんだろうなあと思うと、芹と例えられた男の名を呼んでいた。
「こいずみ」
「もしも、いつかあなたに近づけたら、そのときは迎えに行きます」
カセットテープはそこで途切れ、自動的に巻き戻しが始まった。きゅるきゅるという甲高い音が室内で満ちると、それを打ち消すように一際強い風が吹き込んだ。
「古泉、」
「大人になったか」と訊ねれば、一瞬目を瞠ってから、古泉がゆるゆると首を横に振った。
「堪らず、会いに来るなんて、こどものすることでしょう」
雨で濡れた手がこちらへと伸びる。外と内の温度差がはっきりと分かったのは、その手のひらの冷たさからだ。ひんやりとした手はこちらの輪郭をなぞり、ぱたりと落ちていった。
「あいたかった」
何から伝えればいいだろう。
「どうしても、あいたくなった」
自分もだと告げれば、古泉はどんな顔をするだろうかと、ただおもう。
郷愁を呼び起こすものは、故郷でも、寮でも、教室でもない。目の前に広がる、何かを堪えるような、けれどこども染みたわらい顔だった。