100 love letters

 前略
 あなたが僕の家に来ているものだと思って、
 これからは僕の家に手紙を送ります。
 読んでくださっていればいいのですが。
 僕は今、海の近くの街にいます。とても美しい街です。
 海の上を楽しそうに舞うカモメを見ていると、
 どうしてか僕は、あなたを思い出します。
 あなたはきっと、この街によく似合うのでしょう。

 見知らぬ街に一人というのは、案外いいものです。
 異邦人扱いなんて、外国に来てみないと味わえないものですから。
 ここには僕を知る人は、誰一人としておりません。
 僕を意識する人もいません。とても気楽です。


    2

 次に届いたのは、絵はがきだった。おそらく観光客向けに売られているもので、裏面には街の風景写真がプリントされていた。たしかにきれいな街だ。坂の上から撮られた写真だろう、白壁の家々の立ち並ぶ隙間から、エメラルドブルーの海が覗いている。
 相変わらず、消印も宛先も読みづらいし、本文の解読にも時間がかかる。短いのが唯一の救いだ。一通目の手紙と見比べてみて、消印の形がまったく違わないことから、きっと古泉は同じ街のポストから、これを投函したのだろうことが分かった。
「まさか古泉のやつ、毎日送ってくるつもりじゃないだろうな」
 キョンは思わずそう呟いていた。

 古泉の家の留守に居座ると決めて、キョンが一番最初にしたことは、あの薄暗い部屋を作り出す遮光カーテンを取り外す作業だった。代わりに買ってきたのは、シフォン素材の真っ白いカーテンだ。これでずいぶんと、部屋の雰囲気がみちがえった。人の住んでいる家だと、ようやく言えるようになった。
 さらに、一日この部屋で寝泊まりして分かったことだが、ここはえらく埃っぽかった。目が覚めたと同時に喉は痛みを訴えるし、口の中が変にざらざらしている感じがしたのだ。よく見ると、テレビの上だのパソコンのモニタ表面だのに、薄らと埃が層をなしている。好奇心から、テレビ台や本棚と壁の隙間を覗き込んだキョンは、すぐさま後悔した。
 その後ただちに、キョンは古泉の部屋の掃除をはじめた。一見こぎれいに見えたこの部屋は、とんでもない「にわか」で、例えば積み重ねられた雑誌の下だとか、スチール棚の一番下の段だとか、椅子の足だとか、とにかく様々なところにわた埃と、石みたいな得体の知れない粒が散らばっていた。生ゴミがないだけまだマシだが、げんなりした。
 掃除は昼すぎから取りかかり、終える頃にはとっぷり日が暮れていた。おかげで隅々まできれいになったが、キョンの心中に訪れたのは、清々しい気分などではなく、いっそ、虚しさと言ったほうがよかった。全身に気怠さが居残り、床拭きをした雑巾が真っ黒になって、部屋の隅っこに寄せられているのを、取りにゆく元気もない。
 何もない部屋の真ん中、電気もつけず座り込むキョンは、俯きかげんで宙にうつろな目を向ける。
「何をやっているんだか……俺は」
 窓の端を見遣ると、山と空の境界線、その少し上の方に、一番星の光るのが見えた。

 キョンが古泉の家の留守を預かりはじめて、数日が過ぎた頃だ。
 この辺りは微妙にキョンのテリトリーとはずれていて、言ってみればほとんど土地勘がない。そこで彼はまず、生活圏内にある様々な店や施設を、片っ端から調べていった。これは彼の昔からの癖で、高校のときも大学のときも、入学前に周りを下見しては、使えそうな場所を頭に留めておいた。そうすると、想定外のことが起きた際すぐに対処しやすい。何かとトラブルに巻き込まれやすい、彼なりの知恵であった。
 古泉とキョンは通っている大学も違う。なので今住む古泉の家からでは、多少大学に通いにくくなるかもしれないと、キョンは考えている。だからといって、春休みの終わりと共に、古泉の家を再び空ける気にはなれなかった。きっと彼の旅は長くなるだろうという予感が、キョンにはあったのだ。

 部屋から臨める川は、間近で見るとやはりきれいなものではない。川沿いの道を歩きながら、キョンは水面を目に映す。そこに浮かぶのは、枯れ葉や藻の類いや、それから細かな、ごみごみとしたもの。しかしそれらが日の光を反射して輝く様は、何故だかとてもうつくしく見えた。
 キョンは立ち止まり、スーパーの袋を抱え直した。一週間分の食料を買い込んだものだから、半端なく大荷物である。高校の頃はこれ以上の大荷物を抱えて、坂道を何往復かさせられても、今ほどの疲れは感じなかったように思う。
 ずいぶんと体力が落ちたものだと、キョンはひとりごちる。あの頃のほうが、何もかもよかったなどとは言わないが、それでも時おり、昔を思い出してのち今の自分をかえりみると、どうしようもない虚しさが胸をよぎった。卒業アルバムを繰る手を止められないように、キョンはそれを何度も繰り返してしまう。そのたび、かなしくなる。
 かなしくなりたいのかもしれない。キョンはそんな風に思い、自虐の笑みを浮かべる。




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