100 love letters

 前略
 風邪などひいていませんか?
 北の国は、まだ雪に埋もれています。
 そちらはそろそろ桜の咲く季節でしょうか。
 今年は見られそうにないのが残念です。
 来年は一緒にお花見に行きましょう。


    10

 古泉の手紙は、一日一日と増えていった。封書だったり、絵はがきだったりするそれらは、どれも見事に、彼の居場所を特定できる要素が見当たらなかった。
 古泉からの手紙は、他愛のない内容のものがほとんどだった。
 それでもその言葉の一つ一つが、いちいちキョンの脳裏をくすぐった。思いでを呼び覚ました。

 キョンにとって、桜の季節は憂鬱だった。春が来るたび、思い出すのは楽しかったたくさんの思いでではなく、たった一つのかなしい思いでだった。ほんとうに小さな、引っかかりのようなかなしみなのに、それはすべての記憶を、大きなかなしみに塗り替えてしまう。
 こうやってこれからも最後に残るのは、かなしい思いでだけならば、幸せというものが、すべて幻ではないのかと思えて仕方なかった。
 桜は未だ咲かない。まだまだ春の日差しにはほど遠かった。
 川沿いの桜が咲く頃、一度手紙を書いてみようか。そんな考えがキョンの頭をかすめたが、届くあてのない手紙をしたためるほど、感傷的にはなれなかった。

   *

 キョンが古泉と最後に会ったのは、冬が訪れるずっと前のことだ。まだ半袖のシャツを着ていたような記憶があるから、夏の終わり頃だったかもしれない。
 そうだ、とキョンは思い出す。古泉はあの日、嫌になるほど真っ白な、半袖のカッターシャツを着ていた。品のよい、およそ大学生が身につけるとは思えないような、糊のパリッときいた。
 そのシャツの裾をはためかして、古泉は佇んでいた。あれはどこだっただろうか。風の強い日だった。シャツの白が強すぎて目が痛くなったキョンは、ずっと古泉の背後に建つ、煉瓦づくりの塔を眺めていたのだ。
 キョンは思い出す。あれは港の近くの公園だった。何度かSOS団で訪れたこともある、観光地の大きな公園。うつくしく整備された作り物めいたその場所は、デートスポットとしても有名で、そういえば古泉はその日、連れ立って出かけたのを、変ににやけながら「デート」と称していた。
 嫌がらせなのだとキョンは思っていたが、その日古泉は、ずっと楽しげに笑っていた。心の底から楽しそうだった。
 考えてもみなかったが、男二人であの公園を散歩している様は、周りの目にはどのように映っていたのだろう。キョンはその情景を客観的に想像して、思わず吹き出した。思うに、ひどく気持ちが悪かったのではないだろうか。

 遠く海の上では、怪獣みたいな重機や、黒々と光るタンカーが行き交っていて、ちっともロマンチックではなかった。
 二人はつまらない話をした。すぐに忘れてしまいそうなくらい、どうでもよいこと。
 だからキョンがそれを口に出した瞬間、たしかに空気が変わったのを、彼自身気づいていた。まるで突然風向きが変わったみたいに、温度や空気の味まで、そのときを境に、違っていた気がした。
 海と公園のさかい、その柵にもたれ掛かりながら遠くを見たまま、キョンは言った。
「これから忙しくなる」
「ええ」
「ゼミのほうもそろそろ本腰を入れにゃならん」
「そうですね」
「だから、あんまり連絡できなくなると思う」
 古泉は返事をしなかった。次にキョンの口からでる台詞を、きっと分かっていたのだろう。
「しばらく、会わないほうがいいと思うんだ」
 意を決したように吐露したその言葉は、意外とさらりと流れて、そのまま風に乗ってどこかへ行ってしまった。後に残ったのは、潮騒の音と、妙な静けさ。
 無言の隣人が気になって、キョンはちらりと横を盗み見る。
 古泉は笑っていた。しかしキョンの目には彼が、そんな風に映っていなかった。
「そうですか」
 古泉はゆっくりとそう告げた。驚くほどやさしい声だった。キョンはなぜだか涙が出そうになるのを、必死にこらえていた。どうしてこんなに悲しいのか、彼には分からなかった。ただ、のどの奥にぎゅっと力をこめ、こめかみの痛みをやり過ごした。
「わかりました」
 再び古泉の声が聞こえ、キョンははっとして彼のほうを向く。そのとき目に入った古泉の笑顔は、キョンの知る彼のどの表情よりも、気持ちが垣間見えるものだった。とてもきれいで、苦しかった。そんな顔をした古泉を、キョンはまともに見ることなんてできなかった。
「風が出てきましたね。帰りましょう」
「ああ」
 それが最後に交わした言葉だった。
 それきり、古泉からの連絡はぱったりと途絶えた。




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