100 love letters

 前略
 そろそろ大学の始まる頃ですね。
 今年で学生生活も終わりかと思うと、感慨深くもあります。
 今いる国では、もうすぐ復活祭を迎えるらしく、
 どこもかしこも、たまごとウサギの絵のついたものでいっぱいです。
 イースターエッグを模したチョコレートが多く売っているのですが、
 どうしてチョコレートなのでしょうね。
 これ、中は空洞なのですよ。もったいないデザインだと思いませんか。


    32

 大学は数日前から始まっている。
 キョンは昨日届いた古泉からの手紙を再読しながら、朝食に焼いた食パンをほおばっていた。
 ちなみに今回届いたのは小包で、中には手紙と一緒に、件のイースターエッグ型のチョコレートがやたらたくさん詰められていた。ウサギの絵のついたカラフルな銀紙で包装されたそれは、たしかに軽くて、すぐに壊れそうなもろさがある。一つ包みを破り、口に入れると、外国のチョコレート特有の、安っぽい甘さが広がった。
 キョンは結局、古泉の家から大学に通うことにした。朝出る時間が少し早まってしまうが、実家から通うのと、そう大差もない。自分で朝食を作らないといけない分、早起きできて健康にもいいじゃないか、くらいの心持ちだった。だいたい、おそろしく何もないこの家では、夜更かしをするための手段すらない。夕飯を食べたら風呂に入って寝る、というサイクルでしか生活ができないのだ。そのせいかキョンは期せずして、すっかり早寝早起きが身についてしまった。
 キョンの選択した講義はほぼ一限からのため、通学時間には必然的に通勤ラッシュに巻き込まれてしまう。古泉の家の最寄りの沿線はベッドタウンを多く通過するので、キョンが元々利用していた線よりもいくらか混雑がひどいように思えた。朝っぱらからぎゅうぎゅう詰めにされると気が滅入る。だから数日経つ頃には、キョンの通学時間は一時間早まった。
 そんな時間に教室に着いても、もちろん誰もいない。それこそ何もすることがなく、キョンはいつの間にか大学図書館の常連になっていた。数年前に新設されたらしきその図書館は、入り口からしてえらくハイテクめいていて、認証カードにIDチップが埋め込まれているほどの徹底ぶりだった。そこまで厳密に管理をする必要が、果たして大学の図書館にあるのかという疑問はあるが、おそらく技術力を誇示することで、入学希望者増につながると信じている者がいるのだろうと、キョンは考えている。
 読むものはほとんどがゼミで使う資料類だが、時間があまったときは、小説にも手を伸ばした。長門有希のように雑食にはなれないが、キョンはミステリから恋愛小説、純文学など様々な本を読んだ。小説以外のエッセイや実用書なども。
 古泉と会わなくなって以来、キョンはまったく暇になってしまった。今まで古泉と会うことに割いていた時間が、まるまる空いてしまったせいだ。することが何もないから、ここ半年はずっと、勉強をして過ごしていた。そんな自分が信じられず、キョンはことあるごとに自らを嘲った。

   *

 古泉はキョンが来るたびに、「自転車が欲しい」と言うのだが、だからといって実際に買いに行こうとはしなかった。自転車屋を見に行こうとキョンが誘ってみても、なんだかんだと理由をつけては断るものだから、結局古泉が自転車を手に入れることはなかった。
 そうしていつも、一つ駅を越えたスーパーまで、二人で徒歩で向かうのだ。
「もうすっかり春ですね」
「前からだけどな」
「大学のほうは、いかがですか」
「まあ、これといって特筆すべきもない」
「コンパとか、誘われてないんですか? こちらにばかり来ていただかなくても、大丈夫ですよ」
「なんだよ、来ちゃ悪いのか」
「いえ、そうではなく。あなたにはあなたの付き合いがあるだろうし、申し訳がなくて」
「別におまえに遠慮はしねえよ。来たいときに来てんだから、気にするな」
 往復にして三十分の道のりを、ずっと話しながら歩く。話題はいつもくだらないことか、そうでなければ古泉の、キョンへの確認のような問いかけだった。
 そうして家に帰ると、ほとんど言葉を交わすことなく、食事を作って二人で食べる。食べた後は、ひたすらだらだらと過ごした。古泉はベッドにもたれかかり本を読んでいたし、キョンはベッドの上で転がって、ときどき持参したまんがを読んだり、ウォークマンで音楽を聴いていた。
 正直なところ、最初のうちキョンは古泉と二人きりでいるとき、少しだけ緊張を覚えた。また不意打ちでキスをされるんじゃないかとか、またあの思い詰めた顔をされたらどうしていいか分からないとか、色々考えはじめると、動悸が激しくなって、小さな物音でもすぐに反応してしまうのだ。
 そんなキョンに気づいて、古泉は微苦笑を浮かべながら言った。
「別に何もしやしませんよ。ご安心ください」
 キョンは自分だけが意識しすぎていたように思えて、とてつもなく恥ずかしくなった。
「すみません、僕はあのとき、少しおかしかったのかもしれません」
 そう言って困ったように頭をかく古泉を、キョンは少し憎らしくも思った。あの行為に理由を求める気などさらさらなかったが、そんな風に行為自体を否定されるのは、キョンにとっていささか理不尽だった。
 ではだからといって古泉に何を求めているか、実際のところキョンにだって分からなかった。古泉の考えていることはまったく読めず、しかし知りたいと思うのとも、また違った。むしろ、それを知ってしまうのは怖かった。
「もう十一時ですが、どうしますか?」
 夜が更けると、古泉は必ずキョンにそう訊いた。申し訳なさそうに、何かを期待するように、そのときの彼の眉は、いつも八の字を描いていた。
「今日は泊まってく」
 キョンは手持ちの漫画から顔をあげないまま、そっけなく答える。答えたあとは決して、古泉の顔を見ようとしない。なぜならキョンは古泉がどんな表情を浮かべているか、見ずとも分かっていたからだ。
 きっと泣きそうな目を細めて、出来損ないの笑みを浮かべているに決まっている。
「そうですか、ではタオルを用意しておきますから、お風呂は好きに使ってください」
 そう言うときの古泉の声は、普段よりわずかに穏やかで、そして力ない。

 古泉はどうしてかずっと、罪悪感を抱いているようだった。それは古泉が力を失ってから以降、最初はほんの小さな塊だったものの、だんだんと膨れ上がっていくのが、端から見ていたキョンにはよく分かった。
 いったい古泉が何に対してそんな思いを抱いていたのか、そのときには考えもしなかった。
 ただ古泉が、自身でも抱えきれない大荷物の片端を、知らずキョンの腕に預けるようなかたちになっていたのは、今だから理解できることだ。
 そのときのキョンは気づいていなかった。自分の片腕が、あまりの重さに悲鳴をあげていたことすら。




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