わたしたちは叶わない恋をしている 1


 花が恋をしていると知ったのは、中学の頃だった。
 彼女とはその頃から親友同士で、それは別々の進路を歩んでからも変わることはなかった。
 花はずっと、同じ恋をしていた。
 私と花は今17歳だ。幼い頃は17歳という年齢に、特別な憧れを抱いていたものだけれど、いざ自分がなってみると、特になんということはない。ただの高校生、それくらいの認識しかなかった。
 花はどうなんだろう、と気になって、一度尋ねたことがある。そうしたら、実に単純明快な答えが返ってきた。
「私は17歳に憧れなんて抱いたことないわ」
 花らしいと思った。
 花の恋の相手は、私も良く知っている人だ。中学の時の同級生だった、山本君という男の子。背が高くて、野球の上手い人だった。明るくて人気者だったけど、どうして年上好きの花が彼に恋をしたのか、今でも不思議に思う。花は現実主義にみえてその然、どこか夢見がちな部分もあったから、もしかしたら彼女の琴線に触れるような何かを、山本君が持っていたのかもしれない。

 私は十日前、花の恋する相手の大親友に呼び出された。彼は私の好きな人でもあった。
 約束の時間より五分程遅れて、その人は待ち合わせのカフェに現れた。春の麗らかな空気が心地良くて欠伸が出たところを、ばっちり見られてしまって、その時私の顔は多分真っ赤になっていただろう。彼は秘密を覗き見たみたいな顔をしてから、こらえきらずに笑った。
「久しぶりだね」
 目の前の椅子に腰を下ろした彼──ツナ君は、一ヶ月会わない内に、また背が伸びたようだった。成長期の男の子はすごい。ほんの少し前まで、同じ位の背丈で、同じような体格だったのに、すぐに全く別の生き物みたいになってしまうんだもの。
「ツナ君、またおっきくなった?」
 会う度に別人のようになっていくツナ君は、それでも根っこの部分は全然変わっていなくて、私はほっとする。
「うん、前会った時から多分、五センチくらい伸びたかな。京子ちゃんは、また大人っぽくなった。会う度にきれいになるからびっくりするよ」
 中学の時なら絶対に言わなかったような台詞を、今の彼はなんの躊躇いもなく口に出す。それが一番の変化かもしれない。あんまりどきどきさせないで欲しい。その度私は緊張して、おかしなことを口走ってしまう。
「……ツナ君、なんだかちょい悪オヤジみたい」
「まだ17なのにオヤジ言わないで!」
 ツナ君の切り返しに私はいつも笑ってしまう。ツナ君と話をするのは楽しい。彼の口調は春の風みたいに心地良くて、欠伸は出ないけれど、何故だか眠たくなるような安心感がある。
 ツナ君と時々こうやって会って、他愛も無い会話をすることが、最近の私の幸せだったりもする。だからこの時わたしは、想像もしていなかった。彼の口から発せられる言葉も、その後味わうことになる喪失感も。

 突然訪れた静けさの後、ツナ君は急に真剣な顔をして、少し低めの声で言った。
「京子ちゃん、おれ、イタリアへ行くんだ」
「イタリア?旅行で?いいなあ、私イタリアって一度行ってみたいんだあ」
 私はなんだか、嫌な予感がしていた。だから、わざと的外れなことを言ってみた。ツナ君は、困ったような笑みを浮かべて、小さな溜め息を一つ吐く。
「ううん、違うんだ。もうずっと、イタリアで暮らすことになる。向こうで生活するんだ」
「……いつから?」
「明後日」
 二の句が継げなかった。私の視界は、突然大きな地震が起きたみたいにゆらゆらと揺れて、それから耳がなくなったみたいに音が何も聞こえなくなった。それでも私は無意識に、目の前の人の言葉に相づちを打っていた。何にも理解はしていない。きっとツナ君もそれを分かっていたんだろう。その内、彼の口から発せられるのは世間話になり、私はだんだんと意識を取り戻していた。
 それから私たちは、三時間以上もお喋りをし続けた。もう会えなくなると分かっていたから、私はどうしても話の区切りをつけたくなくて、無理矢理にも話を続けた。内容なんてあってないような話だ。ツナ君は優しいから、きっとそれも分かっていたはずだ。分かっていて、話を合わせてくれていたんだろう。
 私はどうにか会話を途切れさせないようにと必死だった。止まってしまえば、きっと彼は話を終えて帰ってしまう。さよならの言葉を置いて。
 しかし延々と話をするなど土台無理な話で、三時間後、私はとうとう会話を続けるのを諦めた。
「京子ちゃん、」
 ツナ君が私を覗き込む。大きくて強い目。私は見ていられなくなって、下を向いた。そうしたら、涙がこぼれそうになった。まずい、そう思って今度は上を向いて目を逸らす。
「たまには帰ってくるよ。そうしたら、また皆で集まろ。黒川とか、山本とか、ハルとか、お兄さんも呼んで。その頃には、きっと大学も合格してるよね。お祝いもしようね」
 涙が目尻に溜まりそうになるのを、必死で堪える。今涙を流しちゃいけない、そう自分に言い聞かせる。楽しいこと、そう、皆で遊園地に行ったときのことを思い出そう。あの時のツナ君は面白かったな、花も呆れて笑ってたっけ。おかしいな、余計に涙があふれそうになる。
「ツナ君……元気でね。風邪ひかないでね」
 私は上を向きながらそれだけ呟いた。我ながら変な体勢でつまらない別れの言葉を言ってしまったって思ったけれど、ツナ君は、それは嬉しそうに笑ってくれた。


 ツナ君と別れた後、私は真っ先に花のところへ向かった。高校から一人暮らしを始めた花の住まいは、彼女の通う学校のすぐ近くの古いアパートで、私は普段から電車を乗り継いでは、よくそこに押し掛けていた。
 玄関先に立つ、うっすらと赤く目を腫らした私を見て、花は驚いて目を見開く。それから何も言わず、私を部屋の中へと招き入れる。物の少ない花の部屋は、いつも神経質なほど綺麗に片付けられているから、六畳一間ながら狭いと感じることはなかった。お世辞にも綺麗とは言えない古い建物ではあるけれど、家具や敷物も、質素ながら上品に纏められている。部屋の真ん中、ぽつんと置かれたちゃぶ台の前に、私を座らせると開口一番、花は言った。
「どうしたの、一体。今日、沢田と会ってたんじゃないの?沢田に何か言われた?あいつ、京子を泣かせるなんて……いっぺんぶん殴ってやるわ」
「違うの!そうじゃないの……」
 勝手な誤解で興奮してしまった花の隣で、私は変なくらい冷静だった。きっと花が怒ってくれたからだ。お陰で涙はぶり返すこともなかったし、きちんと話をする気にもなった。
「あのね、ツナ君、明後日、イタリアに行くんだって……もう帰ってこないって」
 私の言葉を聞いて、花は絶句する。私にはすぐに、花が、山本君のことを考えたのだと分かった。
「獄寺君と二人で。南イタリアにある小さな港町で、地元の有力者を紹介してもらって、起業するんだって言ってた……」
 そう言った途端、花はほっとしたように固く結んだ口元を崩した。一瞬緩んだ表情は、でもすぐに真剣なものに戻る。
「ねえ、起業って、あいつら二人で?しかもこんな中途半端な時期に?絶対無理よ。大体、地元の有力者ってどういうコネ?日本ならまだしも、イタリアの、しかも南の方って……、怪しい……あいつら昔っから、なーんか隠してんのよね」
 花はあごに手を当てた、まるで探偵のようなポーズで、思いついた疑問を口にした。本当は、私だってそんなことを素直に信じてはいない。でもどうしても本当のことを聞けなかった。
 今までだってずっとそうだった。中学の頃、隣町の中学生といざこざがあった時だって、そのすぐ後、夜の学校でおかしなことをしていた時だって、ツナ君も兄も、すぐにばれるような嘘をついて、私はそれを信じている振りをしていた。夜の相撲大会だなんて、そんな変な嘘、普通の人が信じる訳ないのに。
「きっと二人ともがんばって、向こうでやりたいこと見つけたんだよ。ね」
 私は花に向かって笑いかける。花は何か言いたそうな顔をして沈黙する。
 花もきっと気付いている。こうやって、私がずっと本当のことから逃げていること。好きな人の言葉を信じたふりをして、真実を知らないでいる私に、きっと花は呆れている。だって花は強いもの。
 私は花とは違う。彼女みたいに、真実を知りたいという探究心も、傷つくことを恐れない強さも、なんにも持っていないのだ。
 花が、不思議な目をして私を見ている。それは同情でも哀れみでもない、私には分からない感情の揺れ。
「……京子がそう言うんなら、まあいっか」
 花は私を決して否定しない。いつも私の意思を汲んで、それ以上は何も言わないでいてくれる。彼女の一言で、全てを許されたような気がして、私はやっぱり花のところへ来て良かったと思った。

 

 ツナ君がいなくなっても、私の日常は何も変わらなかった。いつも通り、春は暖かくて眠いし、ケーキは甘くて美味しい。
 いつものケーキ屋に向かう途中、ハルちゃんと鉢合わせた。彼女も同じ目的地へ向かう途中だったようで、私の顔を見た途端、目にいっぱい涙を溜めて抱きついて来た。
「京子ちゃあん!ひどいんです、ひどいんです!ツナさんは、ハルに何も言わずイタリアに行ってしまいましたあ……」
 そう言いながら泣きじゃくる彼女の頭を、私は宥めるように撫で続けた。商店街の真ん中で大声を出すものだから、通行人がじろじろと私たちを横目で見遣ってくる。なんとも居づらくなってしまい、私はハルちゃんを、ケーキ屋の近くのファミレスに引きずり込んだ。
「京子ちゃんは知っていたんですか……」
 ハルちゃんの目は、涙が止まってからも真っ赤なままだった。頼んだ大きなチョコレートパフェに乗った、ココア色のアイスクリームを突つきながら、かすれた声で独り言のように呟く。
「五日前に会った時、ツナさん何も言ってくれませんでした……普通に最近出たアルバムの話とかして……イタリアなんてひとっ言も」
 アイスクリームの添えられたガトーショコラをフォークで崩しながら、私はハルちゃんの話に耳を傾ける。曖昧に相づちを打ちながら、あの別れの日を思い出す。
(ハルちゃんには、言わなかったんだね、ツナ君。どうして?)
 私は遠くイタリアの空の下にいるツナ君に、心の中で話しかけた。もちろん答えなんて返ってくるはずもない。
「やっぱりツナさんはハルのことなんてどうでもいいって思ってたんです」
「そんなことないよ。きっとお別れを言うのが辛かったんだよ」
「でも京子ちゃんには言いましたよ!ツナさんにとって、やっぱり京子ちゃんは特別だったんです……」
 興奮気味に言ったせいで、再びハルちゃんの目は潤みだした。私はまた心の中で言う。ハルちゃん、それは違うよ。
 彼が私にイタリア行きを告げたのは、きっと兄のことがあったからだ。兄もツナ君の秘密を知っていて、それに帯同していることは、とっくの昔に気付いていた。もしかしたらそのうち、兄もイタリアへ行ってしまうかもしれない。だから今のうちに伝えて、少しでもショックを和らげようという、彼なりの気遣いだったのだと思う。
「きっとツナ君にも、考えがあってのことだと思うよ。私が特別とか、ハルちゃんは違うとか、そんなことじゃないよ。ツナ君はそんな人じゃないって、ハルちゃんも知ってるでしょ?」
 ハルちゃんは、納得したのかしていないのか、無言で鼻をすすりながらパフェを食べ続けた。
 ツナ君は、残酷な人だ。優しいぶんだけ、人を悲しませる人だ。

 

 それから一週間後のことだった。私は花に会うために、彼女の住む町へと向かった。花の通う高校は、並盛から電車を乗り継いで五十分程のベッドタウンにある。駅前はコンビニとスーパーくらいしかなく、花が時々笑って、並盛より田舎に住むことになるなんて思ってもなかったわ、とぼやいているような所だ。
 その駅前に唯一ある喫茶店の窓際の席で、私たちは向かい合って座っていた。どうしてか、今日に限って花は、家に招いてくれなかった。やけに強い照明が、かえって外の明るさを忘れさせる。何の特徴もない内装の割に何故か漂う場末感は、ベッドタウンにある大概の喫茶店に共通するものだと、私は並盛の商店街の端っこにぽつんとある古い店を思い出しながら考える。
「私、今、山本と一緒に住んでるの」
 会って一番に、花はそう言った。
「え、住んでるって……同棲?え、二人ともいつの間に付き合い始めたの?」
 唐突に想像もしていなかった事実を突き付けられ、私の頭は大混乱だ。まさか高校生の内に同棲を始めるなんて、という驚きと、付き合っていることを知らせてくれなかった寂しさが混じり合って、腹立たしさとも、困惑とも違う不可思議な感情が、回らない頭を支配する。
「ううん、付き合ってはないよ。ただ、一緒に住んでるだけ」
 当の本人である花は、しれっとした顔で、まるで昨日実家に帰ったんだ、くらいのなんでもない口調で、言う。
「な、なに言ってるの!付き合ってもないのに、一緒に住んじゃダメじゃない。だって同棲だよ?そんな、おかしいよ」
「同棲ったって、別に……寝るところも別々だし、あいつ滅多に家に帰ってこないし、大したことじゃないってば」
「だって、花の部屋、一部屋しかないじゃない。別々に寝てるっていったって、同じ部屋でしょう?やっぱり同棲と変わらないよ、大丈夫なの?そんなの……」
 全然訳が分からない。どういう経緯でそうなってしまったのか、花に聞いてもはぐらかされるだけだった。私は出来る限り花を諭してはみたけれど、彼女が一度決めたことは絶対に曲げないと知っていたから、それも早々に諦めた。
「京子が心配することなんて、何もないよ。大丈夫」
 花はそう言ってにっこりと笑う。私にはもう何も言えない。花はいつも、一番大切なことは私に言ってくれないのだ。私は私で、彼女に秘密にしていることがいっぱいある。
 お互いのことを何も知らないのに、私たちは親友と呼び合っている。


 結局、花の家には行けず終いで別れた。やんわりと拒絶されたからだ。山本君に会わせたくなかったのかもしれない。いつから一緒に住んでいるのかと聞いたら、花はちょうど一週間前からだと言った。ツナ君たちがイタリアに渡った日だった。
 山本君は、ちゃんとツナ君の口から聞けたんだろうか。彼らが海を渡って、遠い外国でこれから暮らしていくことを。彼も、ツナ君の秘密を知る一人だったから、どうしてイタリアへ向かったのか、きっとその理由も知っているはずだ。山本君は、どうして一緒に行かなかったんだろう。中学の頃はいつも三人一緒にいたから、高校が別々になっても、きっと頻繁に会っているのだと、私は勝手な想像をしていた。でも、実際はそんなことなかったのかも知れない。
 様々な考えを巡らせる内、ふと一つの答えに辿り着いた。
(甲子園出場のチャンスが、今年で最後なんだ)
 山本君はスポーツ推薦で今の高校──花と同じ高校だから、学力も相当なレベルだ──に入った。勿論、推薦で生徒を集める程だから、甲子園の常連校でもある。そんな中で、彼は早々にエースピッチャーの座を勝ち取って、二年連続で甲子園に出場するという偉業を成し遂げたのだ。それでも、ぎりぎりのところで優勝には手が届かなかった。きっと今年こそは、という思いは、人一倍強いだろう。それに彼の実力ならば、部活引退後、プロから声がかかることも充分考えられる。
 もしかしたらツナ君は、山本君に何も告げずに行ってしまったのかも知れない。言えばきっと、山本君は彼らと一緒に渡伊しただろうから。甲子園の夢も、プロ野球の夢もかなぐり捨てて。
 もしそうだったのなら、仕方がないな、と私は思う。彼がいきなり花と同居を始めたことも、花が曖昧に口をにごすことも。

>>next


>>back to main